翼はいらない | JOKER.松永暢史のブログ

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今年94歳になった母は、老いたるものの元気でバスの無料パスを使ってどこへでも出かけているが、さすがに梯子を登っての庭木の手入れは憚られるらしく、昨日私が庭内にある3ヶ所のバラの巨木の剪定と組み直しを行った。

「バラも木が古くなると咲きが悪くなるわねえ」と漏らすが、他人から見ればまだまだよく花をつけている。

バラの棘に刺されて、ミョウガの林の中の虫に刺されて、どうにか終了して昼食。

この母は、毎週午後コーラスに出かけるが、これはバス利用だと、環七と新青梅街道の交差点で乗り換えるので、30分以上かかる。倒れた時危ないところを歩かせるのは心配なので、車で送ると5分である。時間があればできるだけ送るようにしている。

実はこのコーラスは隔週で二つあって、毎週同日同時間で行われているが、母はその一つに「行きたくない」と言う。それは、二つのコーラスグループのうち一つが歌う歌がつまらなくて歌っていて楽しくないからだと言う。

「なんていう歌ですか?」

「翼をください」

「翼をください。その歌僕もあまりみんなで歌うの好きじゃないなあ」

母は以前、父が死ぬ前に、「お前も早く来い」と言ったことについて憤っていた。

「どこに来いというのか。早く死んでこいという意味なのか」

死の直前の病人の口にすることに文句言っても仕方がないが、長年にわたって看病し続けた母からすると、どこかムカッとせざるを得ないことであったらしい。

その母の母の祖母は、90歳で95歳の祖父の葬式が終わると、「さあて、私の書道のお手本はどこだったかしらね」と口にした。

『翼をください』は、「神」に対する願い事から始まり、「この大空に翼を広げ飛んでいきたいよ 悲しみのない自由な空に」と盛り上がるが、強く死を意識する老人には、これがまるで死んで魂になって飛んでいく歌のように思われてバカらしく感じられるらしい。

この歌はそもそも不自由さに苦しむ若者の解放を歌うものであるが、それが死を前にした老人には、「早く死にたいよ」という意味のやりきれない歌になるというのは面白いというか詮方ない。