作品制作を控えた芸術家は緊張していた。
彼は明日、東京へ出て注文された壁画を書き始めなければならないのである。
壁画であるからその現場に出かけて衆人の前で描くことになる。
何を描くか。少なくともそれは決定されていなければならない。
私の場合、これは講演にあたるが、少なくともおおよそ何を話すかは、前日寝る前に決定する必要がある。
それがまだ決まっていない。
そのたまたま前日に泊まり込みに来ているのだから迷惑としか言いようがなかった。
彼は言う。
「これから大杉を見に行こう」
山道を運転して走るが、普段穏やかなこの人物からは信じられないくらいギスギスして会話に棘がある。
自然に沈黙することになる。
山に着いて、大杉の目の前に出る。
ぐわ〜〜ん!
樹齢1400年と言われるこの大杉の迫力とパワーは、何度見ても息を飲ませる力がある。
「畏れ多くて描けないよ」と言いながら、画家が鉛筆でスケッチを始める。
そんな姿を見るのは初めてだった。
すると、彼からも気が立ち昇るのが感じられた。
遠く離れて待つことにする。
こんな時は自分も、誰にも邪魔されないで、一人でいたい。
数日後、別の芸術家の個展に行くと、そこで、先の画家の大杉の壁画がすでに完成されていることを知った。
「写メで見たけどいい感じだったよ」
ぐわ〜〜ん!アタマの中に色々なことが浮かんでしまう。
先の事情から、どうしてもこの絵が見たい。
場所は中目黒のチャンタナというタイ料理レストランとのことだが、ネットで見ると「完全予約・おまかせ制」とある。
大杉の絵を見ながらのタイ料理。一度行ってみるしかない。
*「チャンタナ」は「ハル」に改名し、海鮮居酒屋さんになっている。