前と変わらぬ村の景色を眺めていると、さまざまなことが脳裏をかすめる。
坂を下って、停車した田んぼの前の大きな家は、最後まで蚕をやっていた家で、私もそれを見た。
ここに宿泊していた学生から、「夜中にお婆さんの叫び声がすごい」と聞いて、なぜだか強く興味を持った。
それは、昼間道で見かける彼女の姿は、小柄で小太りで、ちょこんと眼鏡を鼻先にかけて、どうみても「好々爺」ならぬ「好々婆」だったからである。
宿泊は2階で、おばあさんは1階に寝ているから、何を叫んでいるのか分からないが、とにかくものすごく大きな声だと言う。
ここで通常の人はそんなずうずうしいことは絶対にしないのであるが、ある日偶然通りがかりにこの老婆と出逢い、尋ねて見た。
会話してわかったが、ややボケ始めて耳も遠くなっていると思われるところもあって、途切れ途切れになるが、
「夜、夢を見て、大声で叫ぶことがありますか?」と大声で尋ねると、
「それはもう。わたしゃ4人の男の子どもがおって、今住んどるのは長男だが、その下の3人は戦争で兵隊に行って帰ってこなんだ。だから夢の中で彼らに、死ぬな、頑張れと声をかけておるんじゃよ」
長野県の山の中のどん詰まり集落で農作業していると、ある日召集令状がやってきて、その命ずるままに村を出ると、そのまま帰らぬ人となる。最も戦争と関係ない人たちが、戦地に送り出されて命を奪われる。いったい彼らは何のために生まれてきたのか。
他にもこの村から戦争に行ってシベリアに抑留されて栄養失調状態で帰国し、村中の人からマムシを分けてもらってその血を飲んで何とか回復したと言う人にも会った。
私の父も学徒出陣で兵役に就いた。
その父は死ぬ前に、
「私のように若い時代を戦争で粉々にされた人間には、お前のような生き方ができる時代が来るとは夢にも思わなんだ」
と言った。