JAXA研究員の「顔」について | JOKER.松永暢史のブログ

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台風上陸直前で外は大雨大嵐。

昨日朝、JAXAのH2Aロケット打ち上げのライブ放送を観た。台風の影響のため、予定より約10日遅れての発射であるが、二つの機器の切り離しに無事成功した。

このロケットは、月探査機SLIMとX線観測機XRISM(この命名はウマイ)を積載しており、来年初頭には初の月面着陸を試行する予定であるという。

ロケット打ち上げには花火とは別の高揚感があるが、それはなぜだろうか。

だが、改めて驚かされたのは、そこに登場する職員や研究者たちの「顔」である。

極めて知性的でありながら、どこかに子どもの心を残したような表情。自ら選択した専門科学分野の実際の大実験の一員となっているワクワク感のようなものがそこにはあった。ハード面を支えたスタッフの顔はよく見えなかったが、SLIMの切り離しに成功した時の歓びの映像は、密かに納得感をもたらす素晴らしいものに見えた。

そこには価値あり幸福な人生を送る者が見せる人間的な姿があった。

顔がいい。

おそらく彼らの多くは、その天文学、地質学、そして宇宙工学などの専門分野を自ら夢見て学び、そしてそれなりの努力をしてそこで活動することになった人たちである。

もちろんその「背後」には、他の人々とも共通する人生の悲哀があるであろうが、今この時の彼らの顔は、「最高」に近い。

顔がその人の幸福を表す。

「美醜」ではない。

どうすると顔が良くなるのか?

それが自己の好奇心に基づいて活動し続けることによることを示すのがこのロケット発射の中継画像だった。

政治家、テレビ解説者、有名人、ほとんど皆顔が悪い。良い人は少ない。

それはなぜか。

なぜ日本の国の大人の顔はよくないのか?

それは自己の純粋な好奇心を捨象し、世の中に合わせて言われた通りの労働を忍耐強く引き受ける立場を選択したからなのか。

それともビジネスの鬼と化したからか。

でも、そうした人たちがこの社会を支えている。

ロケットを飛ばす費用もそこで働く人たちの人件費も、この世で忍耐して働く人たちがあるからこそもたらされている。

それは尊いことと言って良いだろう。

しかし、彼らが自分の子どもに同様の人生を期待するとは限らない。

また子どもも親と同様の人生を選ぶとは限らない。

何はともあれ大切なのは、自分の好奇心の延長にあることを、傍観者ではなく、自分の仕事にするように心がけることだろう。

学問する目的はまさにそのためである。

でもそれだけでは足りない。

好奇心と追体験。

それと同時に必要なのが、感受と心情表現である。

幸福そうな研究者たちの仕事以外の日常の趣味を聞きたいものだ。

そこに、「鑑賞」ではなく「演奏」、あるいは創作と言う答えが返ったら、我々もそれを見習うべきであろう。