新年あけまして今年もよろしくお願いします。
正月の実家訪問も終わり、「家族」外出し、客人も帰り、やっと今、自分の時間を持つことができた。
いただいた年賀状への返し、溜まりに溜まったメールへの返信。
それらが終わって、ここへ来ることができた。
私はこの下らぬ文章垂れ流しのブログの目に見えぬ継続的読者の存在に深く感謝する。
一人でも「わかる」人がいることは快感である。
読者がいなければすぐ止める?
そんなことはない。
これは20年にわたる連続的習慣なのである。
もし私がここに書くことを止めれば、私の「活動」はそれまでと全然「別物」になる。
「Note」には、その兆しもある。
それはそれで「可能」であるが、そこには微妙な「寂寥感」が存在することも否定しきれない。
大衆向けに本を書く「作家」であるだけではつまらない。
自分の創作行為や手並みを垣間見させたいと言う願望は否定できない。
2023、話は決まった。
これからは、労働時間にではなく、余暇時間に何をするべきかと言う時代が始まることになる。
余暇時間を創造的に生きる。
消費するだけではない。
排出して済ますでもない。
何かを「生産」する。
誰か人のために良いものを生産する。
そのために自己エネルギーを使う。
それが利潤だけを追求する資本主義の、旧い言葉で恐縮だが、「ポスト・モダン」だ。
私は知る。
「ほぼ」と一応断るが。私だけが見えていることがある。
過去においてそれは、いささか「傲慢」であろうと自己認識したが、こうも自分が抽象化した如くに未来教育が動いていくのを目の当たりにすると、「冗談」で、自分を「教育シャーマン」と名乗りたくなってしまう。
私はこの社会環境・自然環境の背後に、何か「法則」と呼ぶべき「何か」があるとは感じるが、それを特定の「神」とは認識しない。
私は、僭越ながら、あくまで「哲学」する者である。
宇宙自然と自分の関係性を考察する羊飼いである。
確実に循環する法則と自然。
我々はその中で生きている。
すると、「真の覚醒」は、それを感受することに他ならない。
それを追体験と心情表現に「昇華」させることに他ならない。
年初にあたり、このブログ読者の、わかっている人にこれを確認したい。
世の中を意思的に観察すること。
そこに「主体性」が顕現しよう。