13日、永岡桂子文科相は、国連障害者人権委員会の勧告に対し、「特別支援学級を中止するつもりはない」とする声明を出した。
驚いた。
とは言っても、この人はかつて安倍内閣で文科副大臣は務めたことはあるが、教育行政については「素人」で、安倍さんの死後、統一教会とオリンピック問題で揺れる中、女性閣僚としてこの職に就いているに過ぎないから、「声明」は文科省官僚によって書かれたものである。
あまり関係ないが、この人は茨城7区の選出で、2005年に自殺した衆院議員の夫の後に立ち、2021年の衆院選挙で公明党が寝返るまで、ずっとゼネコン中村喜四郎氏に敗れ続け、初当選から5回連続比例区復活で当選してきたという、民意に関係なく国会議員に選出され続けた不思議な人である。ちなみにこの人は麻生さんに近い。
甘い期待に反して、文科省はすぐに特別支援学級を止める考えがないことを表明した。つまり、国連の指摘は正しくないというのである。
そりゃそうだよな。今更もう元には戻せないわな。
国連障害者権利委員会が言う「障害」という言葉と、文科行政の下で使われる「障害」と言う言葉は、指し示す意味の範囲が大きく異なると思うが、そもそも「元」の状況が悪かったからこそ、行き詰まったからこそ、「特別支援学級」を設けたのが実際である。そうしたら、思いのほかそこに入る子どもが多くなってしまった。そして、もしそれがなくなれば、不登校はさらに爆発的に増大して、やがて教育が国家教育として成り立たなくなってしまう。
だからなんとしても、今「特別支援学級」を止めることはできない事になる。
それにしてもなんと文科省的偽善的な命名であることだろう。
昔「特別攻撃隊」と言うのがあったが、それと同じような発想か。
教室で大人しく授業を受けることができない。もしくは学校に行きたがらない。邪魔になる子どもを排除して、同時に不登校になりたくとも家庭の事情で学校に来ざるを得ない子どもを受け入れる。それが「特別支援学級」だった。しかしこれでは、「障害」がある子どもの受け入れ場とはニュアンスが異なる。そもそも「障害」とはいったい何のことを言うのだろうか。
私なりにこれらを抽象化すると、つまり、とどのつまり、彼ら既成の学校教育を拒否する者は、クラスにおける全体授業が嫌なのである。合わないのである。
そしてそれは彼らだけではない。一般教室に残された生徒たちにとっても、ほとんどの場合、面白くない授業を受けることは苦痛なのである。
本当はこの真面目に我慢している生徒たちをこそ第一に救ってあげるべきであるとも思う。
国連勧告には、わざわざ「教師の研修と意識向上」との文言があった。これは、外部から客観的に見て、教師の技術が不足で考え方が古いことを示している。
じゃあその「上」の連中はどうなんだよ!
私は、いささか忸怩たる哲学的考察から、「特別支援学級」では問題が解決されず、かえって状況が悪くなることを直感していた。
そして、どうせなら学校教育全体を、生徒が自分でやりたいことを決める特別支援教育の場にしてしまえば良いと思っていた。
だから、もし文科省の言う「インクルーシブ教育」がそうした意味なら賛成しても良い。
全員が特別支援教育を受ける。
全員が「特殊」になる。
それならそこに「差別」もない。
目下、長年教育行政のドンを務め、文部省を文科省として予算の大きい組織に成長させ、スポーツの管理も発展的に手掛けるようにした人についてメディアが騒いでいるが、資金集めの達人とも言われるこの人を柱にオリンピックを誘致すれば、そこにずぶずぶドロドロのことが起こることは最初から目に見えていたことである。そして「賢い」人は金でやり取りしない。「無形」の別のものでやり取りする。法に引っかからない。全部人が勝手にやったことにする。つまり逮捕されないことになる。しかし事業に使われたのは「税」によるお金であることは確かなことなのである。つまり、「神の国」とはそういう国であったことになる。
安倍さんの突然の死にショックを受けたためか、岸田総理はあまりよく考えずに、麻生さんに命ぜられるまま(?)、国葬を即断して支持率低迷を招いている。文科省も国連勧告を受けて、近地満月WAVEを意識しないで、あまり良く考えずに「火消し」になる発言を新大臣にさせたが、「状況の判断」ができない者には、本当に「意識の向上」が必要であると申し上げたい。
だが、そこには既得的権力へのものすごい執着があることだけが確かに浮かび上がる。
もはや官僚には彼らに期待された国民への奉仕や「自己犠牲」とかの意識はない。
あるのは、権力志向の出世と、自己保身と、そして「忖度」のみである。
彼らはこの国の子どもたちのことよりも自分たちの保身の方が大切なのである。
信じられないことである。
大人しく税を納めることがバカバカしくなってくるではないか。
国連も次は、我が国の官僚と政治家の質の向上の必要性を勧告してもらいたいものである。
そしてメディアは、主要新聞記者と官僚の子どもたちの公教育利用度を調べて明らかにしてほしい。
なんちゃって、言うまでもなく、当然のごとく、このブログは「冗談」で書かれている。