本来処刑されるはずだったが処刑されなかった人たちはその後どのような人生を送ったか。
1948年の12月24日、お隣の大陸では毛沢東中国共産党軍と蒋介石国民党軍が激しく対立抗争する中、また中国北部満州には大量のソ連軍が展開する中、3人のA級戦犯として拘置されていた男が巣鴨プリズンから釈放された。実はこの前日東條英機や他の戦犯ら7名が処刑されている。その明くる日のことである。
3人の男とは、国粋大衆党総裁笹川良一(1899〜1995)、同じく国粋大衆党員で戦時物質調達の政商で超国家主義者児玉誉士夫(1911〜1984)、そして東条内閣商工大臣であった岸信介(1896〜1987)である。
笹川は株式投資の「天才」で、米紙インタビューには「世界で最も金持ちのファシスト」と答えている。児玉は戦時物質調達や希少鉱山取得などによって莫大な利益を作ったと言われ自民党結党に大きく関わった。満州にいた岸は上海の阿片王里見甫などと関わり、アヘン収益などから莫大な援助を得たと思われる(里見墓碑銘は岸信介揮毫による)。
ともあれこの3人は占領国米国から特別の扱いを受け釈放され、各人思う存分の戦後活動をすることになる。
この3人の共通点は何か?
それは国際勝共連合である。
この3人に共通してその「指示」を出したのは合衆国CIAに他ならない。
児玉と笹川がその後もどのようにCIAと関わり、そこから資金提供を受けていたかはわからない。
未公表の米側資料を閲覧したことがある米国人学者は「膨大である。企業を経由して行われた」と答えたそうだ。
しかしそれは、鳩山一郎から岸へと続く自由民主党結党とその発展に結実したことは、歴史的に明らか。そして彼らは軍事費を米国に押し付けて、経済復興発展に邁進した。
それは、米国圧力的非親中的政策を取ることの暗黙の了解。ゆえに日中国交を果たした田中角栄は「抹殺」された。これは、小沢一郎しかり、鳩山由紀夫しかりである。そして鄧小平に会った笹川は「反共」から抜けた。
CIAは朝鮮半島でも反共工作を行った。統一教会はその理念からして「カモ」だったに違いない。朴正煕にクーデターを起こさせ、言うことを聞かない李承晩政権を排除し、とにかく対ソ連対中共の工作を推し進めた。そして、日本では、岸信介を首相とし安保条約の維持に成功した。
アメリカの資本主義は共産主義と矛盾する。
韓国統一教会理念も共産主義思想と矛盾する。
日本天皇制も共産主義思想と矛盾する。
米国資本主義はキリスト教思想と矛盾しないようだが、日本では共産党支持者とキリスト教思想者が、その平等思想にために重なることが多い。
とにかくするべきことは、反共政策による中共の太平洋進出の阻止である。そして沖縄はそのための楔石である。
この共通点を抽出した米国側政策者は、笹川、岸同様、「天才」である。
「反共」ならまとまることができる。
そして米国は言うことを聞く「実力者」に資金提供し続けて政権を手中に収める。
彼らはこれを「モデル」に、インドネシアではスハルト、フィリピンではマルコスを擁立することに成功した。
カンボディアのシアヌークは北京に亡命していた。
言うことを聞かないベトナムには容赦ない攻撃をし続けた。
こうしたことは、個人の「偏見」ではなく、戦後東アジア史を知る者にとっては、CIAについてはともかく、大学入試問題にも出題されている「常識」である。
実は米国のやっていることは、自由、博愛、平等と言ったフリーメイソン的理念から既に大きく逸脱して久しいのではないか。
それをどうしようもできないのが世界の「実情」である。
当然の如く、このブログは「冗談」で書かれている。