なぜか驚くほど偶然雨の日と重なった音読指導者養成講座は、昨日参加者たちの最終審査確認を行い、4ヶ月にわたる講習を終了した。これでこの人たち全員は、カタカムナ音読法の指導者になることができる。
一人一人に発声と音読をしてもらったが、熱心な参加者たちの成長ぶりを確認するのは楽しいことだった。日本語が響きを伴って意味伝達されてくる。なんでそんなものが書けたのか、そしてどうして残されたのかと思う、日本語の名文中の名文の正確なカタカムナ読みをすることは、アタマとカラダの両方にわたる快感である。右脳と左脳の同時共振と言っても良い。そこにあるのはもはや「母音」ではない。一音一音の持つ共通思念がまるでパルスのように伝わってくることを感じることができる。
『カタカムナ』→『古事記』→『万葉集』→『古今集』→『竹取物語』→『伊勢物語』→『土佐日記』→『枕草子』→『源氏物語』→『更級日記』→『大鏡』→『梁塵秘抄』→『方丈記』→『平家物語』→『徒然草』→『高砂』→『奥の細道』→『日本永代蔵』→『東海道中膝栗毛』→『南総里見八犬伝』→『学問のすゝめ』→『草枕』→『舞姫』→『にごりえ』→『教育勅語』→『終戦詔書』→『日本国憲法』と多くはその巻頭にあたる、過去の人々が最も多く声に出して読んだと思われる日本語部分を、過去から順に現代に向けて音読直解しながら読むことを習得すれば、それはいかなる日本語の「基礎教養」よりも上回るものに繋がるはずであり、これをやれば誰でも日本語能力が飛躍的に増大することは当然のことということになる。そしてそれまでとは別の人生を歩み始めることになる。そのことも体得されたことだろう。
各々の成長具合の特徴、本人の感性、そういうものが顕現し、この技術はやがて各々の手中で深化発展させられて次に伝え繋がれていくと想像されて思わず愉しい気分になる。そこには「アタマ」がイイ子がそこら中に現れてくる「夢」があり、思わずニンマリせざるを得ない。
そもそもこの講座はコロナの影響で開催が危ぶまれた。それが一旦コロナが静まった4月から開始され、今回の感染者の再拡大に至るまでの間の絶妙のタイミングで実施された。もうこれ以降は当分できない。オンラインにするしかないだろう。
この日も会の始まりは外は雨。途中やや強く降ったかと思うと、会が終わると晴れて夏空になり、蝉が鳴いて梅雨が明けていた。
参加者の多くは、すでに周囲に指導する対象の子ども群を持つ人たちであるようだ。なんと幸運な子どもたちであることよ。今の段階ではカタカムナ音に直接触れることは一般的には「運」であろう。
ともあれこの会に参加した人たちは、子どものアタマをよくする元を身につけるということを自ら望んで参加実践した人たちであり、「同志」である。
ここに、主催の「おひさまのおうち」と参加関係者全員に感謝と祝福の念を贈りたい。
カタカムナヒビキ マノスベシ アシアトウアン ウツシマツル カタカムナウタヒ