奇怪なるかなこの世の様相。
奇怪なるかなこの世の人々の存在。
那須で「奇怪」なる人物に出遭った。
その人物は「賢者」で「達人」だった。
自分に必要な何もかもを自分であつらえることができる人だった。
自分で土地を切り拓き、そこに自分の思いのままの構造の家を建築する。
できるだけ金をかけない「裏資本主義」をメリカリ的に実践する。
そしてその家を最高美に「構築」する。
外見にも室内にも、そのどの部分にも「夢」と「感性」が宿る。
自分で造る「理想郷」。
語ることも、言葉わかりやすく適確で「矛盾」がない。
そんな人物に焚き火を挟んでインタビューするのが今回の「仕事」だった。
すると、自分が興味がないことには興味が起こらないことを認識する。
小さい頃から同じ。
自分が興味があるのは、自分が興味あることなのである。
歳高じて、いよいよ自分が興味ないことには興味がないことが顕現する。
自分が興味ないことにはすぐに眠くなる。
別のことを考えてしまう。
「ADHD」―この性は一生治らない。
今この時よりももっとオモロいことの可能性がある時間がある。
そう思わせるものが何であるのかはわからない。
しかし、自分はそうしたものを見過ごして生きてきたことも「事実」なのである。
その認識が起こる。
ゆえに、そこに、「追体験」の足りない自分が暗示される。
雪の早朝の鹿の湯は熱かった。
ありがたい。
やはり、「旅」は良い。
それは自分を「深く」する。
春分雪中。
見たこともない「存在」に遭遇する。
それは自分を「拡大」する。
こうした「記憶」を末長く残したい。
そして、あらゆる存在に感謝したい。