冬休みに入って、寒いのに毎日生徒が朝からやってくる。受験の生徒もいればそうではない生徒もある。
受験の生徒は過去問研究であるが、それ以外の者とは、百人一首を用いて和歌のウタイを教える。
和歌は、「和歌」というくらいであるから、そもそもウタである。高まった感情を言葉に出そうとするとき、単なる言葉を超えてウタイになる必要がある。
和歌の元にはカタカムナ音があり、そこに日本語の一音一音性が繋がっている。カタカムナは「ウタヒ」という。そこでは「ヒビキ」が「ウタ」に変わっている。
和歌を一音一音切ってカタカムナ読みする。和歌を歌う。
〜は・る・す・ぎ・てェ〜〜!な・つ・き・に・け・ら・しィ〜〜〜イ!し・ろ・た・え・のォ〜〜!こ・ろ・も・ほ・す・ちょ・う・あ・ま・の・か・ぐ・や・まァ〜〜!
地図で藤原京の位置を示して、その目の前の天香具山の位置を教える。標高152m。丘みたいなものだ。「景色」が見える。ついでに畝傍山、耳成山の位置も教える。
こうやって和歌を読んでいくと、感じがそのまま伝わって、和歌はなかなか味わい深いものであることがワカる。
百人一首関連の宿題が出ている学校もあるようだから、もしそれをする時は、是非、この一音一音切って歌うことをやってほしいと思う。
受験の生徒とは過去問研究。もはや自分が受験する学校の問題に慣れることと、どのような出題があるのかの予想と、活性化して元気な状態を作ること以外にすることはない。ただ合格するのではない。その学校が求めるタイプの生徒になり、その学校に進学後に順調に学力が伸びていくことを目指す。
小学生は自分で勉強できないのが普通だから、冬休み以降も塾へ通わざるを得ないのかもしれないが、受験直前の生徒たちには、受験校の過去問の徹底研究以外にすることはない。だがそれは塾での集団授業ではできない。つまり学習的には無意味である。しかも、教室内ばかりに長時間閉じ込められれば、当然「ストレス」が溜まり、進んで問題に向かう気が失せる。塾へ行く前に思いっきり気分転換することが肝要になる。メリハリの効いた環境で、丁寧に過去問研究を進める必要があるが、国語記述や作文出題の対処は誰かに教わらなければできないのが悩ましいところだ。だから仕方がないから塾へ行くが、書いた通り、集団授業での作文指導は無理。またそこで自分の解説を受けたい受験校過去問がテキストにされるかどうかは「運」である。だから私のような者のところに習いにくることが「最善」ということになってしまうのか。毎年のようにそんなには勉強させずに中高一貫校に合格させてきたが、国語記述指導は個人でなければ無理であるところの究極であると言えるのかもしれない。そしてそれは塾の集団指導では絶対に無理なのである。
とにかく受験前に必要なことは、自分の受験する学校の出題傾向を知り尽くすこと、全ての問題文と設問文を素早く確実に読む練習、作文を書く際のアタマの働きを確認することなどである。これ以外にすることはない。必要なのは、試験に向かうやる気。エネルギーの充実。それには焚き火など充分な気分転換。美味しい食べ物。音楽演奏。こうして徐々にゴールが近づいてくることを楽しみに準備する者には、「運」以外に勝つ者はいない。