生徒たちとのリベラルアーツでは、『饗宴』を読み切って、『エピクロス』(岩波文庫)の会読に入っている。これは、ペルシア戦争に勝利したアテナイ絶頂期を生きたソクラテス(BC470〜399)と、続くペロポネソス戦争敗戦からアテナイが零落していく時代のプラトン(427〜347)と、ギリシア統一を実現するアレクサンドロス大王の家庭教師を務めた「万学の祖」アリストテレス(384〜322)と、さらに時代が下り、各地放浪の末、アテナイ郊外で弟子たちと質素な共同生活を送ったエピクロス(341〜270)と、その後のローマの思想につながる流れ、或いはキリスト教思想につながる流れを簡単に俯瞰するのがその目的である。
その「主要教説(1)」にこうある。
―至福な不死のものは、彼自身、煩いごとをもたないし、また、他のものにそれを与えもしない。したがって、怒りだの愛顧だのによって動揺させられることもない。というのは、このようなことはみな、弱者にのみ属することだから。
途端に生徒たちから声が上がった。
「先生、これは仏教思想です。そうでなくとも仏教思想の影響を受けた思想だと思います」
「そんなこと言ったって、ここはインドから遠く離れた古代ギリシアだよ」
「いえさっき先生は、紀元前4世紀にペルシャを滅ぼしたアレクサンダーが北インドに侵入し、その後ヘレニズム文化が開花したと言ったじゃないですか。だったら当然その途中で仏教に出会い、その書物や僧を連れ帰るってのは充分にありの話です」
―思慮深く美しく正しく生きることなしには快く生きることもできず、快く生きることなしには思慮深く美しく正しく生きることもできない。(5)
―正しい人は、最も平静な心境にある。これに反して不正な人は極度の動揺に満ちている。(17)
なるほど仏教の影響を受けたと思われてもおかしくない。すると、エピクロスはヘレニズム仏教の先駆者ということになるのか。弟子との共同生活などとはまるで「お寺」のようである。
生徒たちからこのような意見が出るのは、これまでに『スッタニパータ』などの仏典を読んでいるからである。
リベラルアーツを行うとこのような判断力が培われる。多くの人の思想の元となった大本のテキストを読んでしまう。多くは宗教的な書物であるが、儒教、老荘、仏教、ヒンドゥ教、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教と基本的なテキストを読んでしまえば何が共通で何が共通でないかがわかる。そしてこうしたことによる「教養」によって、新しく目の前に現れてくる問題を考察判断する能力が身に付いてくる。そして、そういうアタマの働きができるということは、自分自身の判断力を持つことであり、「自由」を選択する能力があるということである。