昨日は久しぶりで一日休んだ。読み書きや「指導」の仕事をしなかった。
午前。葉色が落ちたフリージアの大鉢を4鉢、チューリップとスイセンの大鉢一つ、全て掘り返して球根の「収穫」をした。
天気良く風涼しい。
それにしてもなんという「量」だ。
次世代となる大きな親球の周りに小さな孫球がたくさん付いている。
「中級」のもあるが、それは花を咲かせようが、小さいものはもう一度一期光合成を行い、再来年に花を咲かせる大きな球根になる。
掘り起こして、葉を折り取って、日向で天日干しする。
すると若き宅配便が、隣家の名を挙げて尋ねるので、手で隣を示す。
玄関先に、隣の奥さんが、声をおかけしてもおかしくない格好で姿を見せたので、これ幸いと、
「すいません。陰が涼しくてありがたいのですが、お宅の樹が拙宅の2階の屋根に当たっているので、葉が樋に詰まるとまずいので、切らせてもらえませんか」と尋ねると、
「大変申し訳ない」と言うので、
「では僕がこれから切ってしまっても良いですか」と尋ねると、
「ハイどんどんやってください」とお答えをいただいたので、これを切ろうとするが。4mの梯子では届かないところもあり難渋する。
しかし、これは当たり前のことなのかもしれないが、昔ながらに自分がアタマが良いと思うことが久しぶりで閃いた。
玄関先の息子用の小さな灰皿に、木を束ねるグラスウールを結びつけて、梯子最上段に登って、それを頭上の赤い実のなる高き木の梢に投げつけると、一発で、しかもうまく絡みついて引っ張れるようになった。ああオレはタシカにアタマがヨイ。左手でこれを支えながら、あたかもヒットした釣り人が、竿を持たない方の手で、タモを取り出すように、ズボンのポケットから折りたたみ式鋸を出して、紐を口に咥えてこれを開き、さらに十分に枝を手繰り寄せて切り落とした。強く紐を引くと、体が浮きそうになるので、落ちた場合の着地点をあらかじめおおよそ想像し、落ちたとしても絶対に怪我をしないように心がける。
こんなことをなぜ書くか、それは、昨日接した生徒の新作文に感動したからである。すでに「急逝した祖父作文」をモノにした彼は、先日のカヌー水上教室の体験をすでに文章化して持ってきた。そこには筆者の知らないことだったが、川で流されて救出されるまでの冷静な記述あった。そこでは体験と観察と認識が「固定化」された記述があった。作文を書き始めたばかりの子どもでも、こうした記述ができる。だが、それは「体験」があったからである。ただ書く。あったことをそのまま書こうとする。そしてその記述はなぜか人を元気づける。
てなわけで、いつもならこうしたことには「助け」を必要とするところであるが、それがないがために、一人で全部やり通した。
先ほど使った紐で、切り落とした枝を縛り上げ、清掃車が来る前にこれを出した。
池のオタマジャクシたちは、みな虫のような姿の小さい蛙になってどこかへ雲散した。すると、折りからの陽光のためか、ものすごい勢いで藻が茂り始めた。睡蓮などは藻に包まれて枯れ死しそうなほどである。実はオタマジャクシたちが食べていたのはこの藻であったことが知れる。そこで、「水換え」を行う。バケツで汲み上げて、藻をタワシで擦ってとる。睡蓮の葉と茎にこびりついたものも手で落とす。もはや水中には、ヤゴの蛹と二匹の生き残ったメダカしかいない。
水が満杯になるまで、乾きかけた球根を整理する。
次世代の大きな球根の上下についた「孫球」を取る。すると大きな球根の根に、小さくつぶれ果てた去年の親球が現れる。
この球根こそが今年のフリージアの絶大なる愉しみを与えてくれたはずのものなのに、今は枯れ果ててつぶれ果てて見る影もない、役に立たない、削ぎ落として捨てるしかない「老球」と化している。
ここで人間の親のことに想いを馳せるのは、いささか安直であろうか。
次世代の子は育ち、親は老化して縮こまる。
豆粒ほどの「孫球」ほどの価値もない。
老いたあと、大切なのは、次世代、次々世代の連続性を助けることである。
この後、チューリップ、ヒヤシンス、スイセン、クロッカス、そしてフリージアと腑分けした球根を、箱に入れて乾燥しやすい棚に上げようとすると、棚が外れて、全て地面に飛び散ってしまった。
これを拾い集めて再分類しなければならなくなったが、改めて思うことは同じであった。
この球根たちが、来春美しい花を開花させる。