外出する若者を批判することについて | JOKER.松永暢史のブログ

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どうもよくわからない。

しかし、誰もメディアに発言するわけにはいかない。

若者の外出を抑制する。それは罹ると死ぬ確率が高い老人を守るためらしい。

若者の方では、罹っても風邪程度の自覚しかない者が多く、すぐに回復するし問題がない。

問題がない者の外出は問題ない?

それは当人にとっては問題がないだろうが、家にいる老人にとっては脅威である。

だから外出を控えろというのか。

電車に乗る連中はどうだというのか。

バイトに行かなければ生活できない若者はどうするのか。

多くの若者は老人と住んでいない。

老人と住んでいない若者も外出を控えなければならないのか。

このことを若者の立場に立って眺めてみるとややコワいことになる。

少子高齢化社会、年金、高齢者保護、高齢者看護・医療、そこには国家予算の大きな部分が割かれている。

ではそれを支えることになる若者の暮らしはどうか。

不況で低賃金。彼らにはお金が回らない。受けた教育だって充分なものではなかった。

そして、お金は高齢者が自分たちの生活のために溜め込んでいる。

気がつきゃ駅近くの整体マッサージなんかで老人の体をモミほぐしてかろうじて糧を得てるというのが実際。

増え続ける高齢者の集合に早く死んで欲しいと願う若者は少なくはないはずである。

「老人こそ家に引っ込んでいればいいじゃん!」

ここで再想起せざるを得ないのが、津久井やまゆり園事件の被告の「しゃべれないものは生きている資格がない」という思想である。この思想から実際的に人を殺すというのは、明らかにすでに精神的におかしくなっている人間の行動ということになるが、これを、「コロナに罹って生き残れないような高齢者は死んでもしかたがない」とするとどうであろうか。おそらく若者の多くはこれに潜在的に賛同するのではないか。これは、「この厳しい世の中でマトモに生きることができないのは全て自分のせいだ」という考えにも賛同することになるのか。

考えて見れば、コロナウィルスに罹った人を治療・看護するのは、それに罹ってもすぐに回復する若い人たちである。

我々は、外出する若者を批難することはできない。ましてや命令することもできない。我々にできるのはお願いすることだけである。

そして、若者がコロナに強いことをありがたいと思うべきである。