受けるのをやめた方が良い国語出題について | JOKER.松永暢史のブログ

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同じ事柄について書く「連載」を行っている間に、他のことで書くべきことがどんどん後ろへ飛んで行ってしまう。ブログを他所にも開設するのはバカらしいし、まあ個人のやることには簡単に限界があるものなのか。なんちゃって。

良くあることだが、そして今だに続いていることだが、おおよそその偏差値が55くらいの中高一貫校は、その競争原理に基づくものなのか、それとも私立校の宿命なのか、生徒に厳しい学習を課して、上級大学合格者数を高めようとする傾向にある。

それはもちろん「お客」がそう望むからでもあるのだが、当然授業は前倒し的に行い、一日7時間の授業を行い、週に12回小テストを行うなんてところもある。個人個人の能力の伸張度などは完全無視。これはいったいどういった社会的職業に就かせるための教育なのかとも思うが、こうしたことは最早経団連もあまり望んではいないことは明らか。

こういった学校は中学入試の場でも悪い出題をする。それは上から指示が出ているのであろうが、算数もしくは国語の問題を必要以上に難しいものにする。なぜか。その理由はいくつか推察されようが、その第一として、本来この学校に来るはずのない、何らかの理由で上級校受験に失敗した生徒を採ろうとすることがある。上級校受験者にとって、あまりに易しい出題はバカらしく見えてしまう。だが、なかなか難しい出題を見れば受けても良い気になると考えるのか。すると本来その学校にふつうに入学するレベルの子どもたちにとっては恐ろしく難しい出題になってしまう。しかし、この学校が求めるのは、入学後の厳しいカリキュラムに着いて来れる子どもたちである。そうでなければ上級大学進学率を伸ばせない。

私立上級校ではない学校の教師が、私立上級校を志望する生徒たちでも難しいと感じるテストを作るのは結構難しい。しかも、こうした私立中は午前午後3回と6回も試験を行ったりする。その試験問題を全部作らなければならない。しかも、自分たちが相手にしている生徒たち以上のレベルを測る試験を作る。そんなことは本当にできるのだろうか。

で、たとえば国語ではこんな感じに作る。

ややひねくれた書き方もする誰か、知識人、大学教授かなんかの、細かいことを重要なこととも考えようとするわかりにくい説明文的文章を選んで切って来て(しかもそれに、「中略」が入っていることが実に多い)、接続詞選択問題、用語選択穴埋め問題、部分の抜き出し問題、部分の利用記述問題などを多用する。作成者は、ある部分を答えにすると決め、他の所に線を引いて、「ある部分を見つけ出してこい」と出題する。これがアタマが良い教師がじっくりやっているなら、それなりに整った問題ができるのかもしれないが、そうした人はもっと自分で考えて記述する問題を作ろうとするに違いない。でも偏差値55レベルでそんな問題を出題すれば、ほとんどの生徒が解答せず、しかも採点に非常に手間がかかることになる。しかし上級校ではそれをするのは、自校の教育に相応しい生徒を採るためだから、その手間を省略するわけにはいかないと考えるためだろう。

解答が難しい問題をわざと作ろうとすること、しかもいくつも作らねばならないとき、その問題は当然粗雑になる。

こうした学校は、「お客」である生徒を大切にしない。自分たちのことだけを考えて教育営業する者たちである。

ともあれ、こうした出題をする学校には行かない方が身のためである。入学してもお金を払って受けるべき良い教育は待っていないだろう。