セナが訴えたかったこと | JOKER.松永暢史のブログ

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学校で「ADHDなどの疑いがある」と言われて心配して相談にやって来る、小学校低学年の子を持つ親御さんが相変わらず多い。

いつものように、親と会話しながら、子どもにパズルなどをやらせて観察する。だが、筆者から見て問題があると思われる子どもはまずいない。それは筆者がそうだったからでもあるが、親たちは「問題ない」の言葉を聞くためにやって来ているかのようである。子どもたちはパズルをやりながらも筆者の話を聴いているらしく、「同類」と関知するのか、時々口を挟んだり、自分でいろいろなことを一生懸命説明してくれたりもする。充分教育可能な対象である。

子どもが落ち着かないのは当たり前のことである。45分間もじっと座って人の話を聴くなんてその方が異常である。

だが、学年が上がるにつれて落ち着いて来る。それは、周囲との調整を覚えるからでもあるが、本人が発達成長するからである。

小学1年や2年の子どもをつかまえて、「ADHD」とか「アスペルガー傾向」とか判断して、これを責めたり排斥しようとすることは、人間の教育上本当に愚かなことである。ADHDとはアイデア、発想力の高い子どもの証明である。アスペルガーとは一つのことに専念・研究する資質である。両者の共通点は人の気持ちや周囲の状況に無頓着なところであるが、どちらもなければ人類の発展はなかったにちがいない。

「学校」というシステム。あくまで子どもをじっとさせて、たとえ話している人やその話の内容がつまらなくても聴き続けさせ、言う通りに挙手したり、起立させたりする。他にも細かいルールが一杯あって、それを教え込もうとする。別に誰もが公務員になるわけではないのに、あたかも全員が公務員的になるように教育する。考えて見れば「教師」も公務員の一種か。

大勢の子どもを集めて楽しいことができない?そんなバカなことがあるか。子どもが集まれば自然とオモロいことが起ってくるのは必然ではないか。オモロければ子どもは夢中になって体験し、そして学ぶ。そうではないのか。トラブルが起ってもかまわない。そういうことから子どもは学ぶ。

それができない学校システムや教師が、年端の行かない子どもたちを無理矢理「問題児」にして平気で「排除」する方向性を取るとは、万死に値すると言っても良い。むしろ「特別扱い」すればいいだけのことではないか。

もう本当にバカな教育を平気でし続けるのは止めにして欲しい。

セナが訴えるのはそのことではないのか。