奥多摩合宿ーその5 | JOKER.松永暢史のブログ

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小学高学年男子集合の「合宿」には、おおよそ予めの想像を上回る何かが現象する。

いやもう何も書きたくない。

とにかく常に騒がしく喧しい。

豊かで兄弟数が少ない男の子たち。もしくは一人っ子の男の子たちは、自分からやらない。与えられることを待っている。やり取りや呼応することが苦手、あいさつをしない。「ただ今」、とか「お早うございます」とか言わない。ご飯の時も「ごちそうさま」とか言わない。これはふだん家で呼応する習慣が無視されていることが暗示されるが、自分と対等の子どもがいない場合、その訓練はなければならないものなのに忘却される。わがままで人の気持ちを考えない。これも同様である。自分と対等の者がいなければ、何でも自分の思い通りにはいかないものであることを体験できない。それどころか他者のペースに合わせなければ、自分の思い通りには食事もできない。

巣の中に並んだツバメの子どもたちは、最大限に口を開けて自分の口の中にエサを入れてくれと全員が叫ぶ。そういう経験が一人では起らない。

しかしここではそれが起る。

たとえばそこに7人の子どもがいて、これに一袋のパンが与えられたとする。すると、子どもたちの約半数は驚くべき速さでその内容物が8個であることを確認し、誰かの胃に最後の一つが収まることを脳裏表象させる。次に、その最後の一個を狙うためにはできるだけ速く第1個を胃に収めてしまい、そして残りを見張ると言う行為に出る。そうしておおよそ全員が一つを手にした段階で、あたかも最後に残ったパンが予め自分のものであったかのようなムードを演出して、

「先生、残ったパン食べてもいいですか?」と忙しい教師にやや大声で聞く。教師の「どうぞ」と言う声と同時に、いやそれよりも若干早めに、最後のパンに手を伸ばしてこれをゲットする。なぜかこのとき珍しく、わざとらしく、「いただきます」とか言う。そして、周囲の「サル」たちは、このことを認識体験共有する。そしておそらく自分もいつかそれを駆使してみようと肝に命ずる。

これはささやか、かつクダらない例かもしれないが、つまりこうしたことが際限なく連続的に常時起る。子どもが賢くなるには、相手になる子どもたちが必要である。サルより強い最強の集団。それは共同生活する男の子たちの集団である。

元気いっぱいで大変結構だが、これを多人数まとめて面倒見る学校教師にはやっぱりなるのをやめた方が良いと思う。