なぜ現在の教育は行き詰まるのか | JOKER.松永暢史のブログ

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もう一度考えをまとめるためにこれを書く。

第二次大戦後、初めは戦後復興、続いて高度成長、73年にオイルショックはあったが、その後もGNPは伸び続け、85年のブラザ合意から円高不況になるが、同時に低金利バブル景気の直後、90年のバブル崩壊で経済低迷し、その後は成長率は低いが高度安定状態して現在へと至っている。この間に男女ともに働くようになり、少子化が進んだ。ここで忘れてならないことは、戦後復興期から高度成長の時代に労働者として働いた人たちが、戦前の教育を受けた人たちであったことである。当然のように、教師たちも戦前の教育を受けた人たちであった。戦後に生まれた人が労働力として社会に入って行くのは65年以降のこと。そして、戦前の教育を受けた人が引退して行くのが1980年代だということ。

さて、戦後の教育とは言っても、皇国史観がなくなっただけで、起立礼着席、運動会・学芸会・全体参加、整列右向け右の表面上儒教主義的な教育スタイルは遵守存続された。

1960年代後半は戦後教育を受けた若者たちの学生運動が激しくなり、これに手を焼いた政府はセンター試験の導入を選択することになる。一方経済は急成長していた。約半世紀の間経済は急激に成長し続け、バブル崩壊の1990年頃までには、GNP(GDP)は1950年当時の100倍以上という空前の成長を見せた。これでは左翼運動の気運なんて盛り上がらない。世はレジャー、娯楽、海外旅行、そしてグルメといった時代に突入して行った。「リッチ」では足りなくて「セレブ」とか言う言葉まで出た。そして、主としてその時代を享受した人たちは、第二次大戦後に生まれて戦後教育を受けた人たちであり、我が国の進学システムに沿って学んだ者たちであった。

我が国の進学システムは、そもそも大半は、地元の公立小中校に通い、そこでの成績と入学試験により進学する高校が決まり、高校からは、国立大学受験のためにはおおよそ5教科、私立大学受験のためには3教科の試験に合格すれば大学に進学できるといったものであった。そして、東大京大などの特定の国立大学に落ちた者が早慶といった私立の学校に入学するのが常だった。そこには、東大は無理でも早慶ならまだ善しとするという不思議な線引き風調があり、親たちは子どもが早慶なら子育てに成功したことになると言う「共同幻想」を持った。

その早慶などの私立大学の入試問題は、ほとんど選択肢出題で、国立大学入試には必ずある文章記述解答がないものだった。文章が書けなくとも私立の大学に進学することができたのである。つまり、1960年以降に生まれた者は、国立大学受験なら、およそ7教科のセンター試験のための勉強と、二次試験のためにこれまた5教科の準備を行う必要があるが、私立大学受験者は、文系なら3教科の記述解答がない試験のための学習をすれば良いことになるのである。高校受験でも同様、国公立に進学したければ5科の学習が必要である。対して私立高受験なら3教科である。何か変ではないかと思うがこれが続けられた。

東大京大はともかく、豊かになった人々の願いは、子どもをそれなりの私立中に進学させ、そこから東大か、ダメでも早稲田か慶応に入れるというものになった。

教育の現場では1990年代に入ると、子どもたちの親は皆戦後生まれになり、戦前の教育を受けた教師たちは姿を消して行った。少子核家族化し、そこでは価値観の多様化により、「上」が絶対のはずの教育が崩壊して行った。そして、1998年には文科省から国旗掲揚、君が代斉唱の強化が通達される。これは戦前の発想をする人たちの、時代の流れに逆行する政策であった。愚かとしか言いようがない彼らは、代わりにシステムの変換を想起することができなかった。

この間に、1990年には慶応SFCが開校されて、入学者の半分をA・Oで採り、残り半分を一般入試で、英語か数学のどちらか(あるいは併せて)だけで、小論文が課される試験を行い始めた。他大学も次々とA・Oやら、公募推薦やらといった入学システムを取り入れ始めた。大きく変わらなかったのは国立大学の入学システムだけだったが、ついには2020年の高大接続システム改革が始動しようとしている。

以上、ざっと書いても考えはまとまらない。

戦後復興から高度成長期に至る我が国の教育はごく一部のエリート育成と、大多数の労働者を産み出すためのものだった。

これらは組織の一員として働く人材の育成を意味し、それが目的であったことは明らかなことであった。

1979年から今のセンター試験の基となる共通一次試験が課せられるようになるということは、1960年以降の生まれの者がこうしたコンピュータ採点のテストを受ける対象となったことになる。1980年以降「社会人」となる人たちは、大学進学を目指しておおよそ皆センター試験を受けたことになる。センター試験の特徴は、記述解答がないところである。受験生は、概念の理解よりも覚えることがその学習の主体となる。つまり考えないようにさせられる。私立大学入学試験、センター試験などの選択肢マーク式の試験によって、子どもたちの学習は暗記して高得点しようする学習に偏った。過度の暗記は、発想能力と思考能力を低下させる。やがてそのことの堆積は、東大に入る学生さえも苛んだ。彼らの多くは知的に優秀でも発想する力の弱い人間と言えよう。それは小学校高学年で無理な進学塾通いをして、本来するべき充分な人間体験、自然体験の機会を奪われたからである。

我が国の教育は、すればするほど考えたり新しいことを思いつく力を削ぐものだったのではないか。それが国として危ういレベルまで達したからこそ、高大接続システム改革が立ち上がったのではないのか。つまり国家は、子どもたちに、あくまで上の言うことを聞くことは前提だけれども、発想力の豊かな大人になって欲しいと言っているのである。ところが子どもたちはメディアの発達で、信じられないほど細かい世界で、「専門家」となり、自分のアイデアを自在に発信することもできるようになっている。また個々異なる多様な潜在能力を顕現して自分の「スタイル」を構築しようとしている者もいる。少子化社会の子どもたちは、まさしく「十人十色」の人間集団なのである。つまり、「みんな同じ」よりも「みんな違う」と認識するべき時代にある。

そして、それに全く対処ができず、「混乱状態」にあるのが今の公教育なのである。

うむ。残念ながら、どうしても考えをまとめ切れない。というより何かが見えていない。

でもそれを考えるのが自分の「仕事」であるのかもしれない。

しつこく考察したい。

なぜ公教育はうまくいかないのか。