座礁しつつある高大接続システム改革は、時代の変化の中で膠着無意味化しつつある我が国の教育を、予算が足りない中で、正に「上」からの改革をしようとしたものであるが、「下」の様子はどうであろうか。高校の事情はよくわからないが、少なくとも私大受験については、すでにAO入試対策に舵を切っているところも多いだろう。
ではその「下」の中学校・小学校ではどうであろうか。実は、ここでは密かに妙な「混乱」が起っていると思われる。
「ゆとり教育」の「失敗」の後、文科省の寺脇研氏は「現場についてくる能力がなかった」といったニュワンスの述懐をしていたが、これは正にその通りだと思ったものの、今回は「混乱」である。
何かをしようとしてできないのではなく、何をして良いのかわからないのが「混乱」である。現場でも実際そこで何が起っているのかわからないことだろう。
急増する不登校。
もはやその理由は、いじめや学力不振などではない。
「学校がつまらない」
「授業が無意味」
「教師のしていることが理解できない」
などであることは明らか。
教師も苦しんでいる。中にはすでに「発狂」してしまっている人たちもあるようだ。
これまでですら旧システム下で崩壊同然の「腐敗」状態なのに、IT社会の到来で、覚えるべきこととそうではない不要の対象への判断が大きく変化してしまった中で、また子どもたちが過去とは全く別の育てられ方をしているのに、単なる知識伝達授業と確認テストの教育が無意味化してしまっているのにそれを続けるしか手だてがない。
不登校は、子どもたちの「逃走」である。
私立の名門中と言われるところでも学級崩壊やそれに近いことが起っている。
毎日重い荷物を持たされて、朝から教室で大人しく授業を受け、掃除をした上クラブ活動でヘトヘトにされ、家に帰って塾に行かなければならないのに宿題と提出物がやり切れないほど出る。定期テストではいやと言うほど知識暗記をさせられる。しかもどうもそれはこれからの社会では覚えている必要がない、本で読めば済むような知識ばかりである。いや検索ですぐに調べられる。
You-Tubeで上手い解説や授業がどんどん流される。
英語も数学も国語も、もっとマシな教え方があってもいいんじゃないと子どもだって思い始める。
もはや子どもたちの間でも単に知識の多いことは自慢にならなくなりつつある。
文科省の望み通り、自分で考えられる子がエラい。
そしてその自分で考えられる子どもが不登校を選択する。
子どもたちが不登校になるとは、文科省の指導要領と検定教科書とカリキュラムの下で、その教員採用試験に通ってその指示通りに働く人が教えるシステムの否定である。
高大接続システム改革のおかげで、小中学校の教育が崩壊する方向性にある。
バカな大人のバカな大人によるバカな大人になるための教育。
そろそろ大人は本気で目覚めないとならないのである。
時間の問題で彼らは成長して大人になり、そして前世代のやってきたことを前時代のものと認識することだろう。
「大人」が、「未来」を予期しない、何もわかっていない人たちだったと。
当然の如く、このブログは「冗談」で書かれているが、明日夜は、中高生を集めての夜の焚火を行う。