元大学教授Bのハナシ | JOKER.松永暢史のブログ

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元大学教授Bは語る。

—人がダマされるのは信じるからである。

信じているからこそダマされるのである。

信じていないでダマされるということはあり得ない。

あるとすれば後ですぐに自分を大バカ者だと思うことだろう。

だから、ダマされている人にそれを気づかせるということは、自分の信じていることを疑わせるということになる。

だが、「信じる」「信じない」ではなくて、「何かを信じる」「何かを信じない」は別のことであることは、集合論の分からない人たちは分からない。ここには、「支配者たち」が知り尽くす、部分否定を全体否定と取り間違う「暗黒」が横たわる。

人はなぜに「AとBのいずれか」という思惟習慣を持つのか。

それは単に選ぶことをすることが先行して存在するだけのことなのか。

どうして、「AとBとC、あるいはそのいずれでもないX」といった思考法に割と向かないのであろうか。

利があるかないかは考えるが、その「利」が何であるのかは全く考えない。

価値観を持たない状態がダマされていることだとはまさか気づくことがない。

そして、そうした人たちは、すでに気づいている人たちによって形成される未来社会に取り残される。

正に信じるべきでないことを信じた結果になる。

だけどねえ、人には言われたからこそ気づくと言うこともある。

そう思わない?