このところ「高まり」について話すことが多くなっている。
「高まり」とは、道学芸術技などを修得しようとする場合、これにミを入れて集中連続的に努める時に起ることであり、成長についての重要ポイントである。
この「高まり」の認識は深い快感を伴うもので、それゆえにそれを知る者はできるだけそれを得ようとし、結果的に良く成長することになる。
「高まり」があれば、前向きに生きていられる。
「高まり」があれば、勉強もどんどん進んでしまう。
「高まり」はアクティブではない受動的な活動では起らない。
「娯楽」と「芸術」の違いはまさにそこにあろう。
芸術を鑑賞する場合であっても同様である。鑑賞する側にアクティブな姿勢がなければ、そこある「高まり」のクオリアは伝わらない。
日常生活でも、何かを行なう場合、「どうも何だか上手くできる。調子が良い」と感じる頻度高く生活する者は、よく成長する。
子どもに「高まり」を教えるには様々なやり方がある。
しかし、そのためには少なくともその教える側が「高まり」を知っていることが前提になる。
「高まり」を教える教師の生徒は、皆それなりにアクティブに成長する。
逆に、「固まり」を教える教師の生徒は、硬直化した思考習慣を身につけ、たとえ学者になったとしても、マックス・ウェーバーが言うがごとく「精神のない専門家」になることだろう。これはもはや求められない時代になっている。
能動性(アクティブ・ラーニング)が話題になっているが、その核心にあるのはこの「高まり」についてのことだと思う。