「祈り」について | JOKER.松永暢史のブログ

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おそらくは動物がそのことがあると認識できないものの一つに人間の「祈り」があると思う。
「祈り」はあらゆる宗教に共通するものであり、どうやら人類にとって「祈る」とはアタマが良くなる進化的要素であるらしい。
キリスト教では神による救済を祈る。
イスラム教では神の恩寵を祈る。
神道では、神の御加護や成就を祈っているのか。
対して仏教では、祈るとは瞑想そのもののことであり、環境と境遇が完全に分割乃至は一体化した時にできることは、環境一切のその存在への感謝の祈りであるとも言えよう。
自分という生命体がこうして奇跡的に生きているということは、その環境があるということである。
境遇の認識は、その環境の認識があることによって成立している。
だから、その環境に現象している存在に感謝する。
死とは「環境」になることであるとも言える。
自分が環境になってしまうのだからそれは認識できない。
「認識」は境遇のうちにある。
今年は既成の宗教を越えた新しい思想が生まれて、それがネットであっという間に広がることが起るのではないか。
そうしないと国際的な紛争が解決の方向性に向わないと思う。
ともあれ、年初に当たりこのブログの読者に幸あらんことを祈る。