朝からやりっぱなしの原稿作業にアタマが疲れたので、そのアタマを飛ばすために、ひっくりかえる泳ぎをして来ようと、自転車で家前の路地から公道へ出ようとすると、右方からかなり速い速力で走って来た自転車が、ほとんどブレーキをかけない状態で、当方の前輪に全くよけることなくぶつかった。私はぶつかるのが見えたので、瞬時に足を地面につけて踏ん張ったので倒れなかったが、自転車に乗っていた青年はそのまま前に体が飛び出る形で地面にひっくりかえった。
「大丈夫ですか?」と起き上がって来た青年を見ると、「すいません。すいません。」と何度も謝る。見ると左手に蓋の開いた携帯電話を握っており、この電話を取るか、いじっているかするうちに前方を見忘れて、しかも片手で操縦が効かず、さらにほとんどブレーキをかけられなかったためらしい。
「僕は大丈夫ですが、そちらも大丈夫ですか。」
「はい、すいませんすいません」
通話でも危険であるが画面を見ることはさらに危険である。
もし停止している自転車ではなくて、幼児や老人だったらどうなるのだろう。
裁判では「事故」ですむのであろうか。
過失致死になったとしても、その償いは重いことであろう。
街を歩いていても、スマートフォンをやりながらフラフラ歩く若い人がいるので、困ることがある。中にはその上でヘッドフォンをしている人もいるから、目が見えずに耳が聴こえずに歩いている人物と同じということになる。
自分からホームに落っこちて難を受けるならまだ分かるが、人を害するのはそれとは意味が違うだろう。
街中や通行の多いところでは、画面を操作する道具は、どこかに立ち止まってやって欲しいが、そんな風にこの国の人が自然になるとは思えないから、くだらないことに、歩行中、自転車運転中の携帯操作を禁止する法律が出るのかもしれない。
すでに自動車運転中は、法令で罪になるが、スマートフォンをやりながら運転する若者は、老人を跳ねて殺して1億円近い賠償金を払い続けることがどういうことか分っていないのかもしれない。1年に200万円ずつ50年間に渡って払い続けなければならない。その半額でも生きているのが嫌になるのに充分な金額であろう。
自転車用の保険に入るのではどうだろう。この場合でも、重大な過失が認められた場合、保険金の支払いは渋られる規約になっているのではないか。そうでなくともそんな保険金を払うことができないからこそ自転車で移動しているのだろう。
やはり、若い人は走りながら携帯画面を見ることはしない方が良いのではないか。
青年がすぐ謝ったからか、それともこちらも全く非がないわけでもないからか、私は全然腹が立たなかったが、いよいよ多くなる事故のことを思って若者を心配した。
プールはガラガラだったが、おじいさんの遅いクロールにまたしても追いついてアタマを蹴られた。これも腹は立たない。悪いのはひっくり返る泳ぎで前を見ないで泳いでいる自分である。が、プールに立って前方を見ると、おじいさんも背泳ぎで泳いでいるのだ。額に反射鏡のようなものを取り付けて、前方を見ながら背泳ぎができるような装置が開発されまいか。