75歳初個展 ( by Joker ) | JOKER.松永暢史のブログ

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一体自分は何ものなのであろう。
「教師」でもない、「作家」でもない。
「夫」でもない、「彼氏」でもない。
組織に属したこともない。作品を提示したこともない。
ひょっとしたら、「松永暢史」でもないのかもしれない。
午前驚くほど短時間で必要原稿を書き上げ、井の頭線で渋谷。ヒカリエ歩いて、あまりに弁当屋が多いことに感心しながら、午後南青山hippsで来週講演用に整髪。
サイクリング美容師氏から、いかに美容学校の存在が間違っていて儲けるためだけの仕組みになっているかの講義を受ける。
このあと渋谷蓬萊亭で、カツ重(980円)。私の知る中で、都内これのみ西荻坂本屋を上回る。でもどこかにきっとこの上の味があるであろうが、究極を追求するとトンカツ屋でなければならないことになると思う。と言った意味で、なんでこの店にはカツカレーがないのだろうかとダイアローグ自問納得しながら、圧倒的にロース定食(980円)を頼んでお代りする若い男たちに思わず見とれる。私もかつてはそうだった。ソース付きトンカツひとかけらでご飯どんぶり半分以上は行けた。あの頃はどうしてあんなに飯が喰えたのであろうか。幸せだった。考えてみれば最も貧しかったのに。だからこそか。
カウンター内で仕込みをする調理人、忙しく動き回るホール係の女性たち、西荻戎などでもそうだが、カウンターの向こう側の人たちの日常生活を自由に想像するのは物書きとして至上の時である。ワイシャツのよれ、ストッキングと靴、よく髪を留めるピン。作家にとって「観察」がタダであるのは、猟師にとって元手が要らないと同様であろうか。
午後3時。下北沢で旧知人の初個展に寄る。てらもとゆきじ。この名前の印象からすると、20代ではないかと思われるだろうが、実は75歳。しかも実は画家ではない。彼は、一世を風靡した音楽プロヂューサーなのである。私は彼からもらったポストカードに、F•ベーコンよろしく、「語りかける作家」を感受していたのだった。
しかし、「語りかける作家」は部分で、実は短期に人生ノスタルジアを絞り出す表出現象がその創造の実体であった。
彼は言った。
「79で死ぬと決めたからこれがやれた。毎日朝一75日これをやった。」
次々と旧知人が訪れる。
こんなにいい「葬式」はない。
「故人」と語り合えるのである。
こんなにすごいプロデュースにかつて遭ったことはない。
私は彼より約20歳年下である。
最近秘かに諸処の加齢から思う。
これからいよいよ本格的に歳をとったら何をするべきか。
このダイアローグに対する答えは、まさしく当然のごとく、「芸術」=「創作活動」である。
「人間」のできることはそれしかない。
私はまだ、ただ一回の本格的な文学世界構築を夢見ている。
でも、何に関しても反応してまるで泉がわくような若い時とは異なり、何か本当に素通りできないと判断したもの、自己の魂の根源にあることを表出して周囲の者を元気づけることも「芸術」としてありうるのだということを示していると言える。
これは、多くの芸術家をプロデュースすることをやってきた人間存在においてのみ可能な認識である。
どのような場合でも、周囲の人があっと思うような「飛び込み」を実行する人は、その文化内で確実に「優者」である。
もっともっとこの人物ととろけるまで話し込みたいと思ったが、もはやそれができぬ「時空」になっていることを惜しみつつ感じ入った。音楽、文学、美術、このすべてを同時に満喫することは人生最大の誇りであるにちがいない。私は今回のこの活動が意識的な「もの」であることを確信した。
「上」には「上」がいるものである。