リベラルアーツ上級コースは、引き続き岡倉覚三『茶の本』を読んでいる。
天心岡倉覚三は維新直前の1863年生まれ。生徒たちに、「12歳で東大に入り、16歳で結婚して、17歳で東大卒業して文部省に入り、日本美術の価値評価と保護に努め、多くの芸術家を育て、世界人として海外でも大きく活躍した。」と言うと皆驚きを隠さない。
彼が没したのは丁度100年前の1913年であるが、最後の10年間はボストン美術館の中国日本美術部員として日本美術収集のために日本とボストンの間の往復生活で、その間の1906年に「The Book Of Tea」をニューヨークの出版社から刊行した。タゴールに招かれてインドを訪ねた後、すでに1903年にロンドンの書店から出版した『東邦の理想』により西洋知識人にその名を知られていた天心が、西洋人に日本の文化の独特な深さを伝えるために、茶を題材にして、禅、道教の思想を述べ、実際の茶室の美学、そこで行われることに関する芸術鑑賞論、生花、茶の宗匠利休について記述したのが、1906年に出版され、著者最後の本となったこの本である。
『茶の本』は、変化に富んだ自然環境を持つ日本という地の必然的に繊細で奥深い文化性をはっきりと認識してそれを西洋人たちに分からせようという試みであるから並々ならぬ志の文章であるはずである。しかし、この内容は、現代日本の子どもたちにとって、1906年当時の西洋人と同じくらい「遠いもの」ではないだろうか。そうだとすると、彼らはかつての西洋知識人が覗き込んだように日本の文化を覗き込んでいることになる。4章まで読んだところで茶道について話してみた。実際に経験のあるものはゼロだったが、私が、「やけに狭いが少しも自然なムードを壊さない室内に集まって、一種の薬であるお茶を立てて皆で回し飲みして、アタマを非日常に覚醒させて感覚的に鋭敏になって、しかも花鳥風月以外の世俗的話は一切しないで、静かにその気分的高まりを味わい合うわけだけれども」と言うと、「できたら経験してみたい。興味がある。」というものも複数いた。
日本人の特性は感性が鋭敏で繊細であるところ。そしてそれはこの類い稀なる自然環境からもたらされたものに相違ない。そしてその自然環境を破壊してきたのが行過ぎた経済活動であったことは否定できない。もしも将来、行過ぎた経済活動ができなくなったとき、人は何にその時間とエネルギーを向けるのであろうか。この項、「自然」と「芸術」はかなりのキーワードなのではないか。
リベラルアーツ4日は初級コースで『旧約聖書創世記』、11日の上級コースはワケあってお休み。