クオリティ(by Joker) | JOKER.松永暢史のブログ

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大量に作って広く宣伝して大量に売って利潤をあげることーこれが現在止まらずに進行し続けている世の動向であると思われる。もちろんさらには、最早モノを生産しないで金融商品のやり取りだけで大きな利を獲得し続けるものがいる。そして人々はその経済の流れの中で生活し、労働し、消費し、納税する。
でもどうもこの形の「利潤の追求」は、近い将来行き詰まりを見せて別の動きが始まって来るはずである。
それは何か?
私はそれは、手で作るクオリティを上げようとする方向性だと思う。
大量消費の逆は、良いものを長く使うことである。
たとえば日常生活の中のある部分を、手作りのクオリティの高いものに変えて行こうとする。
食、調度、衣、居。
無闇に金をかけろと言っているのではない。
生活の中の部分をより手作りのものに変えて行こうとするようにする。
大量に生産されたものかどうかダイアローグする。
材料が悪くないか吟味する。
たとえば食ならば、生産者が手で育てた旬のものを用い、それを上手に調理する。
こうしたことを重ねることで、今度は我々の感性のクオリティが高まって行く。
いかなる快感も感性の高まりが無ければ深くそれを味わい楽しむことはできない。
それから、暇な時間にすることのクオリティを上げることである。
テレビなんて必要なとき以外は絶対に見ない。
読書する。ささいなことでも良いから研究する。
自然に接する。花や野菜や木を育てる。
瞑想する。
こうしたことの究極に芸術活動がある。
芸術活動は感性と創性の両方を高める。
生活の部分に芸術活動を持つことは未来的にリッチであることなのだ。
しかし、それを本職にしようとした市井の芸術家たちは、このデフレ社会の中で地獄の苦しみを味わっていることになる。
分野にもよるが、作品制作は時間がかかることはあるがコストが高いことはまず無い。
自分に無理であれば安い方法を選ぶことができる。
問題は生活費が足りないことである。
彼らには、作品を展示する場所代を支払う余裕は無い。
歳をとればバイトもできない。
ただ作品だけは残る。
樋口一葉もシューベルトも、芸術家が早逝するのは、病気になった時素早く良い医者に相談する金が無いからだろう。
私たちが芸術活動を行い感性を高める。
感性が高まると周囲の芸術家たちのやっていることが理解できるようになる。
そして、中間搾取の無い形でその作品を直接購入することもできる。
お互いのクオリティが高まる。
最近私がその作品を所有する芸術家たちが次々と亡くなる中で、ブログを書こうとしてもそのことがどうしても頭から離れない。本来伏せるべきである思いを、どうしても素通りできない思いで書いてしまった。最近どうも「冗談」がやり辛い。
収入のあるものは税に苦しみ、ないものは生活苦に喘ぐ。
でも世の中はきっと、そうしている間にも手造りのクオリティを高める方向に向かうにちがいない。