暑中のお見舞い申し上げる | JOKER.松永暢史のブログ

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人は、年齢が来たから「大人」になるのではない。大人になるのに充分の「経験」とその認識を得たから「大人」になるのである。
昔、ある女性法曹関係者が、
「子どもを産むことなんて、普通、身体に問題がなければどんな女の人にも可能なこと」と言うのを耳にしたことがある。
彼女の謂いは、我々が人間である以前に動物だという自然法的な認識を基にした見解であろうか。
いずれにせよ、「運」より確度が高い認識である。

子育てをするとは、おおよそ自分の思いどおりにはいかないがしかし同時に何かが確実に育っていくことへの認識だと思う。
だからある意味で、子供を育てられないとは、大人のアタマになることができていないと言うことになる。
このことへの謙虚な認識と判断がなければ、子どもを教育することも、自分が大人になることもできない。
「教育」は、自分自身の「価値観」がなければ実行できない対象であることは明らかである。
それが失われていることに自覚的でないのが現状日本の状態であろう。
少子核家族都会偶然集合社会。
誰もそれを与えない。

何が人間的にいけないことなのか。
それは妄りに人を騙すことと苦しめることであろう。
しかし、もしそれが全くなければ、人がより社会的に賢く、同時により発展的に生きるように成長することは、一般には困難なことになるだろう。

私たちは、現在の教育の現状について驚きふためいているが、一方でこの先が必然的にどういうことになるのかについての考察や想像は捨象している。これを「甘え」と呼ぶ人もいる。

「弱者」が圧倒的に多くなることが未来社会の圧倒的趨勢であるが、「強者」の部分に「智者」が存るのは否定できない「現実」であろう。また弱者の多くが覚醒した智者を抱えれば、弱者の主権となる。もっともそんなことは、これまでからしても、全く実現困難なことであろうが。

何かについて、自ら学び向上しようとすること、これに遅れを取った者は、皆将来癒し難い後悔を味わうことになるだろう。
—こんなことは、すでに分り切ったことであるはずなのに。

それにしても、本当に暑いねえ。自室でクーラーつけないのを反原発の運動としているが、冷蔵庫には厄介にならざるを得ないねえ。
冷蔵庫がGSみたい。
今日は二件授業の後、増刷される『サイコロ』を八潮市の製本業者まで納品に行ったが、暑さのために、一般道も高速道路がどこでもめちゃ混みで、往復で4時間もかかってしまった。明日も朝から編集者が来て新刊本用インタビューがあってその後授業である。
プールに行っているヒマはない。
野菜に水をやるので精一杯だ。
もっと活動すべきなのに、年齢肉体的にそれができない。
しかし、それでは自分の言っていることの意味がない。
秋の「実り」と「深み」を銘に、なんとかこの夏を泳ぎ切りたい。
体重は4キロ下げて68キロになったが、5時半起床が守られないのが情けない。
明日も暑いらしい。
末尾ながら、このブログ読者諸兄姉の夏期のご自愛と、そしてご精進を念ず。