無差別スッポンポンテロ | JOKER.松永暢史のブログ

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V-net初夏の焚火会

「いいかげんにしろ!」
と怒鳴りたい。

前夜農業大学1年生と、医学部受験浪人生と、毎田講師と四人で、ゆったりとした焚火を満喫した。
何とかして焚火好きの理想の彼女を作りたいと願う青年達と、かつて愛したが今さら変わることもない中年女との付き合いに疲れ果てた教育作家との会話も弾んで有意義だった。
これは、「夜間河原は危険」という考えから、というよりも、「子どもの宿泊につき合うのは、修学旅行学校先生、あるいはボーイスカウト隊長などがまるで神様に見えるほど大変—大人数はまっぴら御免」という潜在意識により。できるだけ直前に(10日くらい前)に急に告知して、都合の合わない生徒ができるだけ来なくて人数が少ないキャンプを志したからである。その結果、何と、本来主要メンバーであるはずの「焚火仕込み」の中学生たちが、「中間テスト」、「修学旅行」などの理由で軒並み脱落。不登校系は人がいるのは「No!」ってことで、しめやかなムードをつくることができた。味を知る者たちからは、「焚火に行けない修学旅行、最低!」という声も起こった。
五日市駅前の大黒屋精肉店で、六本木で中華やイタリア喰っている連中がバカだというくらいウマい現地豚ロースを購入し、それをゆっくり網焼きしながら、別途購入純正カレーパウダー&厳選ジャパニーズカレールーミックスの特製カレーで締める。我々は至福の時を過ごしたと言って良いだろう。

しかるに、朝筆者が、カラスの焼きそば材料襲撃にもめげずに迎え撃った小学生たち(彼らは日帰り朝着)は、まさに「無差別テロ集団」であった。
車で生徒たちを駅まで迎えに行って帰ると、そこでは、20歳前のバカ連中の全裸飛び込みが待っていた。これに「啓発」された生徒たちが、即座に全裸滝壺飛び込みを実行した。
幸いにたまたま、キャンプ場の午前に他の客はいなかった。
全裸もチョイ全裸も皆つぎつぎ飛び込む。
もし私が飛び込めば心臓マヒで昇天する水温のその冷水に。
ここには「条件」があったのであろう。
「女の人がいない」
寒さのために「オクラ」になったチンポも気にしない。
生徒たちはお互いを、「フル朕◯号」とか呼び合う。

ところが、午後過ぎにそこに壮年夫婦が現れた。
おそらく彼らはここに宿泊し、明朝付近の山頂で金環食を見に来た人たちであろう。
彼らはやや離れた滝壺正面のベンチに坐り、少年裸滝壺飛び込みを眺め始めた。
そのうち、オバさん奥さまの方が頬杖、乗り出し、拍手喝采の見まくりになった。
少年たちはポーズをとって次々に飛び込む。
オバさん大喝采。

そのうち彼女はこちらにやってきて、なんと、お金を差し出すのである。
「あの素晴らしい男の子たちに何か飲物でも買って上げて」。
もちろん私は丁重にこれを断ったが、彼女のこのアクションは大きなことを物語った。
彼女は若者のエナジーを目の前に見たことに感激して「おひねり」を与えずにはいられない心境になったのだ。
今さら断るべくもないが、彼らは「芸術家」ではない。

私は彼女に感謝する。今この目の前で男の子たちがやっていることほど、未来を夢見させるものはないのだ。
男の子が何も気にせずスッポンポンで自然の渓流に飛び込む。
ここには勝手にやりたくてやっていることと、それを見た人が限りなく大きなエネルギーを得ていることの象徴がある。
これは「変態」と呼ぶことができぬほど「自然」である。

私は新規の著作のための多くのものを得た気がした。
男の子は元気である。
おチンチン力はものすごいパワーである。
女子がこれをやっても無駄である。
男の子たちこそがこれをする。

書きたいことは山ほどあるが、最後に一つだけ。リベラルアーツに生徒で筆者の言うことを全然聞かない小学六年生がすでに気温が下がった5時過ぎに、「も一度飛び込む」と言ったのを制すると、「イヤだ。僕はどうしてもやる」と言ったので、「ああそうか、もしそうならば今度からキミを焚火に連れて来ない」と言うと、「じゃあしょうがない」とあきらめたことである。実は川の水が冷たすぎることもあるのであろうが、こういう反応は面白い。生徒と繋がりあったような気にさせられる。

教育には長い時間がかかる。
しかし、まず教師のするべきは、「この先生がいることは最高に面白いから、そのために言うことを聞くことにしよう」と思わせることである。「有意義」とかは後回し。まず面白さで惹き付けなければ男の子の教育は成立しないと思った。

教育の原点は生徒の好奇心を喚起することである。

帰路、駅まで送る途中に、「全然疲れていない」という生徒に、「先生は疲れる。キミタチは何から何までやりっ放し。先生はその後片付けばかりで忙しい。しかも、キミタチの食事の世話もしなければならない。さらに怪我をしないか見張らなければならない。」と言うと、「先生、もっとリラックスして焚火を楽しまなければ。オレたちは怪我しない。なぜなら先生に毛がないからね。」と言う。

フルチンで滝壺飛び込み。
これを見守り続ける大人の気が分るのはいったい何十年後のことであろうか。
しかし、その時は私はもういないというのは楽しい想像ではないか。

ここに書き切れないほどの元気を与えてくれた少年たちに感謝する。





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