今回は,以前(2011/05/30(月))のブログを参考に,ヨーロッパの人々の車の運転法,特に環境への配慮について考えてみる。
中世ヨーロッパの一国にて,私が御者として,馬車を操作しなければならなくなったとしたら,その技術をどのように身につけるであろうか?
走行中の手綱の操作法だけでなく,停車中の馬の休ませ方に至るまで,疑問点が晴れるまでじっくりと親方の下で修行して,一つ一つの手法を身につけるであろう。
その操作方法のなかでも,ごく基本的なことだが,馬車を走らせないときに,馬に鞭打つことはしない。
「停車中の馬車の馬に鞭を打たないなどという,わかりきったことを,あえてここで述べるのはどうしてか?」と思われた読者の方もおられることと思う。
それでは,私から問いたい。
「現在の日本にて,車を運転する際,停車中,どの程度エンジンを切るのか?」と。
この質問を提起するきっかけは,十数年前の3月早朝,ウィーンでの出来事である。
市街地のタクシー乗り場に,数台のメルセデスEクラスがエンジンを切って,長蛇の列をなして停車している。
一番先頭の車両が客を乗せて発進すると,後続車両が前から順番にエンジンをかけ,一台分前進するとすぐ,前から順番に,次々にエンジンを切って再び停車していた。
帰国後すぐに,私は,この方法を取り入れた。
デパートの駐車場に入る際などに,自身の運転する車両が列をなし,停車時間が長引くと予想されるときには,エンジンをこまめに切る。
また,停車中の車内で飲食したり,短時間仮眠したりするときも,季節によらず,エンジンはかけない。
だからこそ,日本のタクシー乗り場の客待ち車両のマナーの悪さに辟易している。
ヨーロッパからの訪日観光客が,日本の主要都市のタクシー乗り場の客待ちのタクシーを見たとき,一体どのように感じるであろうか?
走りもしない車のエンジンをかけておく理由が,一体どこにあるのか?
彼らは,停車中の馬車の馬に,鞭を打つ合理的な理由をお持ちなのか?
そうした悪習を放置したまま規制しない監督官庁の怠慢の本質的原因とは何か?
○○交通というストライプを車体に描くことを全国で統一することよりも先に,アイドリングをさせないことを全国で一刻も早く統一すべきではないのか?
筆者は,食事会の前後で,アイドリングストップの必要性を必ず教え子に伝えている。
日本の車社会に,微力ながらも,喝を入れるためにも…。
演習1 日本人が,金銭的に損するアイドリングをやめられない理由は,どのようなものだと推察されるか? ヨーロッパの車社会を参考に,考察せよ。