三月の大震災で我々が知ったことは多いが、世の中政治からマスコミから経済界、官僚に至るまでウソまみれであることが分ったのは非常に大きいことだったと思う。
これでもかこれでもかとウソとデマが繰り返されるのを見ていると、これらがやはりそれらしく作為的に行われていることも分ってくる。同時にそれほどウソを繰り返すのは、背後にもっと巨大なウソがあるからではないかとも思えて来る。
この世の中で余分な利益は、ほとんどの場合人を騙すことによってもたらされる。「儲ける」とは人に実際価値以上に金を払わせることであり、人を安く雇うことも同様である。特殊な幸運以外は、大きく儲けることは大きく騙すことでもある。大きなウソが通れば通るほどその人間の立場や組織は安泰なのである。
言うまでもなく、これは世界中で行われていることであり、資本主義社会の現実である。儲からなければ人は仕事を作ろうとしないことを前提にしている。
私はこれを善い悪いと言おうとしているのではない。現実がどういうことか確かめようとしているのである。だいいち嘘をつかない人間なんていない。というよりも、自己哲学的には言語は事実に対する「ウソ」である。
利益をもたらすウソは、何かを隠すウソである。虚栄のための見え透いたウソとは異なる。巧妙なる方便である。
すると、もしこの社会で地位や財産を求めようとすればウソがうまくなければならない。ウソは言葉でつくのだから、つまりは言語能力が高いことが前提になる。そして勉強するとはこのことだったとは言い得て妙過ぎると思う。
嘘をつくと良心が傷む。人にダマされていることが分ると幻滅する。
こういう時代には、真実や本当の美や芸術がかえって輝きを増すのではないか。