相変わらず、オモロいと思って思いっきり書いた原稿が確実にボツになって、編集リライト任せになることを繰り返す作家が私の実体ではあるが、私が「過剰」になるのは生身の現場に身をおくからであるにちがいない。
梅雨入り直前焚火の日を前に、V-netリベラルアーツ『韓非子』第二回を行った。『解老』、『内儲説』
と読み進める。『老子』については、やはり、「原典に当たりたい」との気が強い。判断保留といったムードか。『内儲説』については、意見がいろいろ出て面白かった。
「自分が王になった時にしてみたいことは次のうちのどれか?
1、 分けの分からぬ指示を出して混乱させて様子を見る
2、 知っていることを知らないフリをして尋ねて反応を見る
3、 何を考えているのかわからない意外な行動をして混乱させる
の問いに対して、
1が三人、2が一人、3が二人である。
「では、もし自分が臣下だとして、王にやられて最も困るのは上のうちどれか?」
と問うと、
1が五人で、2がなくて、3が一人と出た。
この子たちは素晴らしい!
私は、連続的に商業原稿を書くものであるが、それができるのは、この子どもたちのナマのエネルギーを得ているからである。
中学生が、『韓非子』を読んで面白いと思うのはなぜか?
それは、彼らの好奇心の究極が「支配」ということであるからではないのか。
その彼らが、老子の無為自然をなかなか良いと言う。
同時に、それは文明的に退屈であるという意見も出る。
私は、全ての勇気あるご父兄にお勧めする。
将来、「草食」ではなく、「大物」に育ちたい、13歳以上の全てのお子さんは、これに類する体験が必要であると。
クラスをもっと盛り上げるために、引き続き鋭意の新規参加者を募集する。
明日焚火は、確信犯的リベラルアーツメンバーで構成される。
この男たちの「エネルギー」は、最早私でも制御できない。
彼らの存在に感謝するのみである。