傷だらけでも美しく。 | SPACE BOX

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放浪理系ラテンジャズミュージシャン碧川サヤカ(さかいさやか)のページです。
日々の出来事や思いをつれづれなるままに。科学と日常、音楽と、好きなものを好きなだけ語ります。

放浪理系女史・ミドリカワこと酒井さやかです。


今回は漸く吹っ切れたことを。

いきなり、我が右手です。
手術跡(皮膚移植)クッキリです。

二十年以上前の事故によるものです。他にも傷はあちこちにあります。

トリプルワークの過労による自爆でした。
普通なら死んでいたと云われた惨状だったようですが、利き手とその他散り散りの傷跡で済みました。
死にかけたのはこれを含めて3度ほどありましたが、うまいこと生き延びております。なんと幸運でしょうか。

右手の損傷は激しく、親指の腱は殆ど残っていません。そもそも楽器も諦めろと云われた手です。
この手がどれだけの方々に作られてきたかという思いや有難みを、一連のチャレンジが再認識させてくれるきっかけとなりました。

リハビリなど、周りが助けて下さらなければ、今の自分自身はありません。
ただ、その間にどれだけの過ちを犯していたかとも思います。

この右手を言い訳にしないで何処までやれるのだろうかとも思いながら、屈折した思いや、自身の思いやりの無さや無鉄砲さを露呈してきました。

ただラッキーすぎて生き延びて、楽器も続けられ、生活も維持出来ています。
勿論、ミドリカワを嫌う存在も沢山いらっしゃいますし、実力のなさを言い訳にしないで進んでいくことが課題だと考えております。実際にまだまだ、出来ることを全うしているかという疑問もあるからこそ。

未だに実力があるわけでもなく、頑なさ故に他とも衝突するわ、他にもどんどん素晴らしいアーティストは出てくるわ。世代交代すら意識します。

ただ、まだステージに立たせていただけています。
あらゆるジャンルのステージの開催すら批判対象になりかねないなかで、今の立場でこれほど恵まれていることはありません。

本当に向き合って、身を削って、表現するアーティストやコンテスタント、その他ステージを目指して表現しようとする方たちはこんな傷どころではありません。
それでも更に美しく強い表現と大きな楽しみをもって、周りを照らしていらっしゃいます。

ミドリカワも本当に些細ですが、その一端であれたらと思います。
もはや傷なんて関係ないのです。もう隠す必要もないし、知らなかった方々のほうが多いでしょう。
そもそもそれでコンテスタントによくなったものだ、と言われずにやれている(低身長など他の要素もあるかもだけど)のも、どれだけツイているかと思うほど。
………まあ、それでも負けん気の強さ発動したりしますがw

本当に吹けなかったり歌えなかったり動かなくなったら、また別の表現を見出すまでです。

どうか、お願いです。

一部のイベントなどで、集まったり音楽を楽しむことに批判はあるかと思います。
楽しむ事を我慢せざるを得ない状況もありますし、生活も大切にしていくことは不可欠です。
綺麗事と片付けられるかもしれません。

それでも言わせてください。叩かれても仕方ないとは思います。嫌われや無視・放逐もなれてるので平気です。

・信頼性を確保しながら、映像以上に直接感じられる表現を大切にして、向き合って発信している方々がいらっしゃること。それを生活の糧としている方々もいらっしゃること。
・危機を感じていらっしゃる方々の感情も逆撫でする行為を好んで行うことを好しとはしないこと。
・表現を自己満足と片付けずに、生きているエネルギーを表現する手段として否定せずに自他ともに活力として与えられる方策を其々に試行錯誤していること。

自分自身や身近に被害が及ぶのが怖いだけではないです。
楽しみやココロの余裕を与える存在が脅威になることは本意ではありません。単なるステージへの正当化ではなく、フェアに観ている側も演者も愉しめる空間を作るために必死に試行錯誤錯誤している姿もどれだけ観て感じてきたかを少しでも伝わればと思います。
そして、不安なく、堂々とイベントを立ち上げて愉しめる環境に向けて考えていくことに繋がればと思います。

演奏や表現する人間の端くれ、末端としても、少しでも(密でなくとも)触れられる機会を護れたらと思わずにはいられません。

其々が傷を負っている状況だと思います。
しかし、傷を受け入れて、やりきろうとすることも出来なくはないです。
そりゃ、しんどかったですし(況してやミドリカワは自爆メイン)、情けないです。
でも、死ぬわけにはいきませんし(笑)

身体は傷ばっかりでスタイルやら飛び抜けてはおりません。ルックスはコンテストで勝負できるほどかというくらいのレベルです。
だから、見た目の社交辞令よりも、ミセスジャパンの投票の際に身近な方々が取り組みや中身を評価してくださったことが励みになったのです。

今、嘗ての自分自身よりも幸せで美しく愉しめてると信じてます。

だからこそ、見た目以上に豊かに、美しさを表現する方策をこの機会にコンテスタントとして集中して取り組ませていただいております。

演奏もするなかで、また、愉しんでいただける表現力に繋がれば幸いです。
いまは細々ながらではありますが、嫌われようが居場所を失おうが、前に進み続けようと思います。

今以上の傷を増やすわけでも無理して消すわけでもなく、現状を見据えながら出来ることをやりきるしかないです。

ステージやコンテストも周りの理解なくしてできません。
しかし、愉しむ心を喪ってからでは修復には時間もかかります。
少しでも安全なところで、底辺だとしても絶やさずに、堂々と打ち上げられるための火種は持って置けたらと考えております。

どんな姿でもいい。
自分らしく、誰もが本質を出して咲ききれたらと願うばかりです。