放浪理系女史・ミドリカワです。
………ん?タイトルが矛盾してますな。
今回は理科年表ネタですが、ちょいと視点を変えてみませう。愛しの周期表さんは、理科年表でも変遷を辿れるので、こちらはまた別で(まだ語るんかい、笑)
いつもより、『なるほどわからん(爆)』度合いは少なめ………かは分かりませんが、お付き合いのほどお願いいたします。
何故このネタかというと、単純に元号が変わる節目の歳だからです。昭和から平成………のまえに、今回は理科年表初期の『大正から昭和』にいったん目を向けることといたします。
大正十四年から始まったこちらの偉大なるデータブックですが……。
理科年表には昭和元年と昭和二年のタイトルはありません。

昭和元年は12月の年末ラスト数日でしたしね。大正十五年版となるわけです。こちらは分かりやすいです。
では、昭和二年は………というと、存在することのなかった『大正十六年』という表記なのですね。もし発売日が前年の初冬という現在と同じ時期や歳の始めであれば、当然といえば当然の結果。
ちなみに、あくまでも、本年は年末まで『平成三十一年』として暦も記載されています。
元号表記もこれまでの伝統を踏まえて省略するわけにもいかなかったのでしょうか。
新しい元号は4月にならないと分かりませんし、ミドリカワの運転免許も平成三十五年まで有効だし、まあ、気にしなくても何とかなるってことで(笑)。
あと、元号云々抜きにして全く存在しないのは1944年~1946年。
戦争真っ只中~敗戦の時期ですね。
実は、理科年表ってのは時代を何気に反映していたりするのです。
祝日や二十四節季は太陽の位置や生活との関連も深いので、欠かさず掲載。
一番はじめのデータは暦なのであります。
国民の祝日もバッチリです。
初期のものでは、天皇陛下の行われる祭祀との関わりが深いのが見てとれます。
また、軍の記念日というのも其々にあるのですね。

元日も『四方拝』、すなわち早朝に天皇陛下が伊勢神宮に向かって拝礼した後、続いて四方の諸神祇を拝する儀式として記載されています。
響きからして何気に気になるのは後半の1月5日の『新年宴会』です。これも実は祝祭日のひとつ。宮中行事です。
7月30日にあった『明治天皇祭』は大正天皇崩御にともない廃止→お誕生日である11月3日に『明治節』、のちの文化の日となるわけです。
大正天皇が崩御された12月25日が大正天皇祭として新たに追加されています。
あ、宴会は変わらず残されていますね(←そこかよ)。
で、戦後初期に飛びます。
そして、遂に………とうとう………新年宴会は姿を消してしまいました!!(←結局そこかよ)
ターニングポイントはその前年、1948年7月20日の『国民の祝日に関する法律』施行です。
現在の原型となるものと言って良いでせう。
ただ、祝日と呼ばれるものは当初は少なかったのですね。
今では6月以外は毎月何かしらありますものね。
この祝日の増加も、労働環境に配慮して公的に休めるようにという日本人のある意味真面目というか………休みを自発的に取れない方々の多さも反映しているとも言えますね。
歴史的背景を意識しながら読むというのは大人になってからのことですが、理科年表の面白いところは膨大なデータブックとしてだけでなく、理科だからと決めつけない柔軟な受け入れ体勢も兼ね備えているように感じます。
さて、長くなって参りましたので、先ずはこの辺にしておきましょうか。ではまた。