ども あらゆる世代の美と心のブロックを解除する
京都のマインドブロックバスター 永井和美(ずうずう)デス。
祖母への思いって重い!
このミシンを見るたびに、心臓がギュッとしてました。
威風堂々したこのミシンは、リッカー社のものデス。小学校の家庭科の授業で、ミシンで雑巾を縫うというのがありました。四十年以上前、小学校のミシンは足踏みミシンでした。
不器用でリズム感ゼロの私は、足踏みミシンが大の苦手でした。ペダルを逆回転してしまって、すぐに糸が切れました。
不器用でリズム感ゼロなのに、恥ずかしくて人に聞けない私はミシンで雑巾を縫う課題に困り果てました。
そして、母にミシンをねだったのです。
その頃、母は仕事が忙しくて私と弟は放ったらかしでした。ちょっと罪悪感もあったのかもしれません。当時の電動ミシンは高額でした。母は祖母に頼み込み、お金を借りてミシンを買ってくれました。
なぜ、リッカーのミシンを選んだのかわかりません。しかも、最先端の一番高額の機種でした。リッカーは、昭和30年代から40年代にかけてミシン業界のトップメーカーでした。
どうせ買うなら!
と、母は思ったのかもしれません。
私は、母のいないところで祖母に叱られました。
「こんなものを雑巾のためにねだって。お母さんに無理をさせて、高いものを買わせて。ほんとにこの子は。」
お母さんに無理をさせて
というのが、子供心に響きました。私はお母さんに無理をさせた。自分の欲しいもののために母が犠牲になった。しかも、ミシンは私の本当に欲しいものではありませんでした。雑巾の課題を提出できないのが、惨めで恥ずかしい。出来の悪い子供でいたくない一心で、ミシンを求めただけでした。子供だったけれど、自分の心の暗さは知っていたのです。
それでも新しいミシンで、さくっと雑巾を仕上げた私は満足で、嬉しい気持ちでした。
母に
「不器用だ、不器用だ」
と言われて育った私が最先端の電動ミシンを使いこなすことはできませんでした。超のつくほど器用だった母は仕事に追われて、ミシンを使うことはありませんでした。
ミシンは忘れ去られていきましたが、その、おばあちゃんのように威風堂々して重い姿は時々、私の目の触れては
チクリ
っと心を刺しました。
結婚して静岡から引っ越すときでさえ、ミシンは私を離しませんでした。祖母はとっくに亡くなり、母もミシンのことなど忘れ、リッカー社は倒産していたのに。
結婚後、二回引っ越しをしたけれど、ミシンは私を離しませんでした。ミシンを捨てたらバチが当たる。おばあちゃんに悪い。母に悪い。そんな罪悪感を捨てられませんでした。
なんで使わない、こんな重たいものを毎回持ってくるんや?
いつも、ダンナさまは不思議そうでした。
このミシン使ってるところ、見たことがない。まだ動くんか?
母や、祖母への気持ちをブロック解除していったら、
私は母と祖母の期待に応えられない子供であり、孫であった
という思い込みに気づきました。
ミシンが私を離さなかったのではありません。
私が、ミシンで子供の私を罰していたのです。ミシンを持ち続けることで。時々、ミシンを見て嫌な気持ちになるために。
今日、業者さんにミシンを引き取りに来てもらいます。
もちろん値段はつきませんでしたが、部品を回収して役立ててくださるそうです。
捨てるっていうのは、自分との縁を終えたものを自分の所から解放して、新しい縁に出会えるように放流する作業のこと。
おばあちゃんのミシンを私から解放します。
そして、ミシンは新しい縁に出会うのです。形を変えて。
私もミシンから解放されます。
おばあちゃんと、母からも。
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