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uzohのブログ

当分の間はmixiの日記からの引越しで過去ブログをUP。

mixi以前の日記なども鮮度に関係なく読めるものは引っ越してきます。

とりあえずは平日に1日1個ずつ。

沖縄が返還(文中では「復帰」という用語も同じ意味で使っています)される少し前まではドルを円に替える時はいつでも1ドルは360円にかえてもらえました。
これを固定相場制と言いますが、本土復帰の少し前にこれを変動相場制に切り替えることが決まりました。(円高だとか円安と言っているあれですね。)

ところがこれは沖縄の人にとってはとんでもないことだったのです。

変動相場制になれば円高になるのは確実だったからです。
どういう事かと言うと、例えば手持ちが100$あるとすると、復帰してから変動相場制に移行するなら1$⇒360円で切り替えた後、変動相場制に移行したとしたら、手持ちは36000円ですが、変動相場制にしてしまった後に復帰すると手持ちは30000も無い事になるからです。 単純に考えても2割も目減りする訳ですね。

当然沖縄では「変動相場制への移行は本土復帰後に」という運動がおこりますが、返還前の沖縄は残念ながらまだ日本ではありません。 どうにか約束を取り付けたのは、「一定額のみ相場レートよりも有利な程度の変換率で」というものでした。 これも日本政府がやってくれたのか当時の琉球政府が自腹を切ってやってくれたのかは私には解りません。(めんどくさいので調べていません。興味のある方はご自分で御調べ下さい(^_^;))

親から説明してもらっていたとはいえ、当時小さかった私が何故ここまで細かく覚えているかと言うと次の事件がとてもショックだったからです。

復帰前に私のお小遣いで買える「私にとって高級なおやつ」が10セントで買える××(あまりにチープで恥ずかしいので伏字(^_^;))でした。
復帰初日に、(普通に考えれば)30円程度で買えるだろうとお店に行くと100円の値札が........
こんなことなら復帰前日に買えば良かった....(T_T)

便乗値上げだとも言われたりしましたが、税制や流通などのさまざまな物事が米軍統治の頃と、大きく違ってしまった事が大きな原因だったんだろうと思います。
しかし、給料は前日までの$相場を元にした変換率でしか払われないわけですから、当然沖縄の社会は混乱します。

復帰によってバラ色の未来が待っている様な期待は復帰初日に打ち砕かれたのでした。
これが「沖縄県の経済」の最初の躓きだったわけです。


ああ、自分がおやつを買えなかった話を経済問題にまでする私って (^_^;)


この次は、海洋博の話でもしようかな? 副題は海洋博とゴーストタウンなんてね (@^^)/~~~



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へぇえ、そんなことがあったんですか?
沖縄の通貨がドルの時代?
恥ずかしながら全然知りませんでした…。
なのですごく興味深く拝見しました。

そういや近代史って学校でもあまり習わないですし、全然詳しくないですねぇ…。


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uzoh
ああ、私は米軍統治の沖縄で育っているので微妙に教育が違うかもしれません。

でも、殆どの学校で、近代って最後に習うから時間が足りなくなって端折られる運命に有る気が(^_^;)


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uzoh
ちなみに、沖縄より先に返還された小笠原諸島は統治時代英語教育だったために戦後生まれの方たちは言葉で苦労されたようです。

そのせいか、私が東京に行ったときには「へー日本語上手だねぇ」とよく言われたものです。
小笠原は一応東京都に編入されたこともあり、日本語の上手じゃない世代が東京に行く機会が多かったんでしょうね。
 
ちょっと酔っているのでろれつが回らなくなっていたらごめんね。(^_^;)

実は、以前にBIGLOBEにホームページを持っていました。
まだPC-VANというパソコン通信が生きている頃ね。
(30歳以下の人は知らないかもなあパソコン通信)

その頃、既に近畿圏に住んでいたんだけれど、沖縄についての事を色々書いていたのでした。
以前にここに書いていた「ビール醸造日記」なんてのもそこに書いていました。
【ブログ引越しの整理の都合で「ビール醸造日記」は後に回します。】
他にもいくつか書いていたのでその辺りの事をこれから書いていこうかと思います。
コンピューターの事も書こうかと思ったりもしたけれど、さすがにネタが古すぎて理解できる人は少ないでしょう(^_^;)

一応当時の記述に沿って書きますが、さすがに勉強不足だったり180度考えが変わっていたりするところもあるので、そういうところは大幅に書き換えるか原文に注釈をいれて書こうと思っています。



で、最初は何書こうか?
例えば小さい頃の話。

生まれた時には日本国籍がなかったりします。 (^_^;)
1972年の5月15日から正式に日本国籍になりました。
それまでの沖縄は米軍統治領の琉球政府ですね。
アメリカ統治と言うよりも米軍統治と言う方が現実には近かったです。
実際、植民地の感覚で行動する米兵も居ました。

日本に行くのにもパスポートが要るだけでなく、アメリカに行くのにもパスポートが要りました。
でも、米軍人はパスポート無しで街中を歩き回っていたのよー.... 時々声かけられてたし。
で、生まれた時からそんなだったので、事件さえ起きなければ特に反米感情等は湧かないのでした。

ある意味勿体無い事しましたよね、生きた英語を覚えるチャンスがゴロゴロしていたのにねぇ。
でも、怖い事件も多かったので、自分から話しかけることはしませんでしたねぇ。




小さな頃に使っていた通貨はドル(とセント:1$㌦=100¢㌣)、本土から遊びに来ていたお兄さん(家とどういう関係の人なのかは記憶にありません)が持ってきた円を見て感動したものです。

 まず、硬貨がでかくておもちゃのお金の様に見えた。 50セントとか1ドル硬貨は今の500円硬貨並みにおおきですが、基本的に子供が持つ金額じゃないので(^_^;)
 その上コインの金額と大きさが全然バラバラじゃないですか、セント(ドル)の場合、10セントという例外はあるものの基本的に金額が大きいほどコインは大きくなるので解り易かったです。
 さらに、日本の硬貨に穴があいている(ドルには穴のあいている硬貨はありません)。 銭形平次で江戸時代のお金に穴があいているのは知っていたけれど、実際に穴があいている硬貨を見るのは初めてだったので感動しました。 さっこく輪ゴムで作ったひもに通して遊んだのは言うまでもありません。
 あと、お札がカラフルで透かしが入っているんですよお、その上金額毎にお札の大きさが違うという....\(◎o◎)/
 「この透かしって、洗っても、時間がたっても消えないんですよねえ、透かさなければ殆ど絵が見えないし.... いったいどうやってこんな仕掛けをしているんでしょうか?」
 「まるでおもちゃのお札の様にカラフルだけど、このカラフルな色は薄くなったりしないの?
 金額毎に大きさが違うのは解りやすくて良いよね。 うんうん」
て、子供心にとても感心したのでした。
 (なのに、2000円札は5000円札と同じ大きさにしちゃったんだよね。 これは良くないよ。)

 今では、あんなに感動した日本のお金も、何の感動も無く使っている日々です。(^_^;)

次回は、ドルから円に変わった時の悲しい思い出などを書こうかな?

ではでは (@^^)/~~~



もうすぐ9歳【この日記を書いた2010年時点】になる息子が2歳の頃の話


やっとこさ片言ながら意思の疎通が出来るくらいに話せる様になったばかりの頃

「ママのお腹にいる頃から名前を呼んでいたんだよ~」と話しかけると
「うん、聞こえてた」との返事(勿論こんなにしっかりとは答えていないんですが読みやすいように書いてます。この後もね)。

「へ~、聞こえてたんだぁすごいなあ」と、ちっちゃな子にありがちな錯誤だろうと思っていると。
「真っ暗で寂しかったの、だから生まれてきたの」と話してくれるではないですか。

もう、嬉しくてかわいくて「じ~ん」ときましたね。
未だに思い出すたびに胸が熱くなる言葉です。

本当にお腹の中の記憶が有るにしろ無いにしろ


本人は既に覚えていないですが(^_^;)


未だに、寝る前に「お父さん大好き」って言ってくれる良い子です。\(◎o◎)/
【2015年現在も言ってくれます\(◎o◎)/】


「「「子供自慢、子供自慢」」」(^_^)/~