今回は作家、西 加奈子さんの作品「サラバ!」についてです。
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サラバ! (上) (小学館文庫)
680円
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サラバ! (中) (小学館文庫)
670円
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サラバ! (下) (小学館文庫)
659円
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「サラバ!」は第152回直木賞受賞 西加奈子作家10周年記念作品で、文庫本では上・中・下巻の3冊という西加奈子史上、最長編の作品です。
文学賞と言っても、芥川賞が新人の純文学作品、直木賞がある程度キャリアのある無冠の作家の大衆文学、と両賞共に対象がよくわからないあやふやな賞だし(受賞した作家が活躍している訳でもないし・・・)、絵画のなにやら展と一緒で見えない力がいっぱい働いている芸術関係の権威付けでしかないのでしょう。。。
大作だし、他の主だった諸作品を読んでから読もうかと読まずに積んでいましたが、ついに順番が来て、あっという間に読了しました。
感想、率直に。
最終巻、第五章の途中までは抜群に面白かった。
丹念な書き込み。
しかしながら、この章の途中から物語の結末までがどうしても納得いかない展開に感じます。
唐突に異なる視点の物語が継ぎ足されているような印象が。
西さんの作品は、恐らく全作品の95%以上は読んでいるはずですが、この違和感は初めてでした。
なぜこのような構成にしたのか。もどかしさが残ります。
尤もこれは、私が理解の足りないバカ頭だからなのかもしれませんが。
この物語の中では散々、主人公の圷歩(あくつ あゆむ)の家(家族)が普通ではないこと、問題を有し、異常であることが強調されています。
実はそこにも、ものすごく違和感を感じます。
家族、家族、家族・・・
でも、この家族のどこが変わっているのだろうか?
わからない。そこがどうしても実感として感じられない。
このため作品全体になんとなく底上げ感が漂ってしまう印象を受けてます。
この家族は、それぞれがそれぞれの目的意識を持って主体的な生き方をしている。
この家族のどこが問題なのだろうか?
離婚したこと?姉がまともに学校に行けなかったこと?それは人の個性の範疇ではないのだろうか。
問題なんて無いとしか思えない、却って理想的な生き方をしている人間の集まった家族ではないのだろうか?と思えてしまう。
それどころか、ある意味憧れさえ感じる結びつき方でもある。
何と言っても各人が「生きている」ことが感じられる生き方をしている。つまりは機能的な家族・・・
第五章以降の姉、貴子の変貌ぶり・悟りぶりがあまりにも唐突すぎる。
この変化について作者はほとんど書ききれていないと思う。
書くこと、説明することを諦めてしまったのだろうか?
ただ、こここそが一番丁寧に書いて欲しかった箇所である、と痛切に思う。
貴子の内面の細やかな変化こそが、この作品で一番読みたい部分であったと言っても過言ではありません。
後々出てくる歩の変化もしかり、です。
「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけない」
「あなたは揺れている。しっかりとした軸を持って生きて行け」
貴子がこの明解な結論に至る、その過程が、理由が、知りたいのです。
話の中で語られているような抽象的なエピソードではなく、丁寧に書いて欲しかった。
ここは読者の想像に任せてはいけない部分なのではないか、と思います。
物語の中で再三言及されるジョン・アーヴィング。
もしも、この物語の作者がアーヴィングだったら、貴子の経緯については絶対に事細かに書き込んでいたんじゃないかと思う。
引き合いに出されていた小説だって「ホテル・ニューハンプシャー」だし・・・
そしてアーヴィングならば、更に物語に登場した人物それぞれの人生への決着の付け方まで頼まれもしないのに書くでしょう。
アーヴィングを引き合いに出すなら、是非そんな風に物語も紡いで欲しかったのです。
もちろん西加奈子とアーヴィングは違うけれど。異なる作家ではあるけれど。
西加奈子作品は深く惚れてしまうものが多かったのだけれど、そんな理由でこの作品は今一ついただけない思いです。
俯瞰する視点ではなく、それを人物の内面までぐっと下ろして、物語を紡いで欲しかった。
サラバの意味付けもなんか中途半端な感じ。
この作品には以上のようにちぐはぐな印象を受けました。
文庫の末尾に掲載されている芸人、又吉さんの解説もほぼ意味が分からない・・・何を持ち上げているのかこの方、、さっぱり不明。
・・・あ~あ、でも、途中までは本当に面白かったな。
しかしながら、です。やはり、これは単純に私が物語を読み切れていないだけなのかもしれません。
もしそうならば、全くダメですね自分。
すみません・・・・
いつも思うこと。
物語に欠けている視点。
何かを失うには、まずそれを手に入れる必要がある、ということ。
失うということは、少なくとも一度は手にしている、という事実を忘れてないか。
物事には順序がある。
失う苦しみを味わうためには、その前にまず、失うべきものを手に入れているということ。
ここが省かれている話の何と多いことか。
この世の存在、その全員が失う何かを手にしている訳ではない。
手に入れることさえ叶わない、物語が始まらない存在だってたくさんいるのです。
いつかそういう事を丁寧に掬い取って書いてくれる作家に出会いたい。もう、どこかにいるのかもしれないけれど。


