・・・これ想像するだけで冷や汗が出ます。今まで普通だったあれやこれやが全て奪われてしまい、自分に残るものなんて何もないのではないか?
情報の80%は視力から得ると言われており、色々な意味で生きていく術を失う事になるのではないか?などと・・・
たまにそんな想像をすることがあります。そして世の中には実際にその能力を失った人たちがたくさんいます。たくさんいて、皆生きて毎日の生活を送っている。
9月17日(土)、18日(日)と「読み書き(代読・代筆)支援員養成基礎講習会」なるものを受講して来ました。
高齢者や障害者(主に視覚障害者)が日常生活などで読み書きに不自由した際の支援の方法論や技術論です。基礎講習会だったので内容も網羅的で幅広かったです。
これまで知る事の無かった、「音訳」という概念や代読技術、代筆の際の法的問題等をなどを含め2日間みっちりと話を聴きました。
「録音図書」もほとんど知らなかったし、対面朗読という事が一部では実施されている事も知らなかった。あまりに知らない事が多すぎて情けない。
「知らない」原因はもちろん私自身にもありますが、マスコミでもそれほど取り上げているとは思えません。実は今回の講習会もホントに偶然、某新聞の記事で知り急遽参加を申しこんだものです。
少しの時間で何を身につけたという訳でもありません。が、知らないよりはずっと良いだろうと。
ここでは具体的には書きませんが今回の震災でも結局、支援の要望の声すら上げることの出来なかった弱者がいると言う事実があります。支援はそれらの人たちの上を素通りして行きます。
頑張れと言われてがんばれる人はそれぞれの出来る範囲でがんばれば良いし、デカイ声が出せる人はどんどん要望すべきです。ただ、中には声の出せない弱い立場の人もいるという事は常に皆が念頭に置いておかなければならない事だと痛感します。
色々な場面で同じように遭遇するのですが、結局「声のデカイ奴」の方が要望が通じるし、有利にもなります。仕事もそうですよね。少なくとも私にはそういう経験が多々あります。
ただ、そうではなく隠れてしまっている人々に思いを馳せる事ができない一番の原因は自分自身の「イメージの貧困さ」によるものなのか、と反省しきりです。
世に蔓延する「イメージの貧困さ」が使えない制度や仕組みをも作っているような気さえします。
私自身はボランティアで活動している訳ではありませんが、こう言った講習会で支援員を養成しても現状ではその受け皿がほとんどないという厳しい現状もあるようです。まだまだ仕組みが出来ていない。
また、いわゆる「音訳」だけに熱心な人の中には実際のボランティアには全く興味の無い方もいるように伺いました。そう言った人たちは何だか間違った半端な芸術家気取りととられても仕方ない部分もあるのかもしれません。もちろん役には立っているのでしょうがこれも先にいる利用者の本当の姿が見えないというイメージの貧困さ故なのかもしれません。
プライオリティをどこに置くべきなのか、考えはじめるときりがない。本当に分かりません。今の世の中には様々な問題が山積しています。そしてそれぞれの問題は当事者にとってみればどれも重いものであることは間違いありません。
それらの問題への優先順位付けはとてつもなく重く難しい。だからこそ余計に声の大きいものだけが勝つような事態だけは避けたいものだと感じます。
ただ、順位付けする事がどれほど難しく厳しい問題なのか、という事も認識しておく必要があります。声高に主張するのは簡単です。但し、世の中の問題はそれ一つじゃない、ということ。
もし、自分が順位付けしなければならない立場に立ったらどうするのか?決断できますか?切り捨てなければならない部分もたくさん出てくると思います。そこには熱い気持ちだけではなく冷静で客観的な視点と理論が必ず必要です。それらを全て他人に委ね、文句だけを上げ連ねること、これももしかしたらイメージの貧困さかもしれません。
なお、この講習会は今年から始まったもので、今回が2回目の開催だそうです。年内に関西方面でもう一度開催される予定があり、また来年には「中級編」も予定されているとか。
間違いなく大切な事の一つだと思うので・・・だから自分に何ができるという訳では無いのですが。
そう言えば、代読・代筆に関する書籍が本年中に小学館から出版される予定があるという話も伺いました。今回講習会に関わっていた多くの方も執筆陣に加わっているとか。
現状では視覚障害者介護技術シリーズとして下記のような出版物があります。(私も会場で購入しました。)参考までに。
初めての音訳 (視覚障害者介護技術シリーズ)/著者不明

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初めてのガイド (視覚障害者介護技術シリーズ)/著者不明

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