第4012回 『福沢諭吉伝 第四巻』その36<第一 宗敎を信ぜず(2)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第一 宗敎を信ぜず(2)

 

 (「福翁自伝」)つづき

 「ウム何ともない、コリャ面白い、今度は之を洗手場(てうづば)に持て行て遣らう」と、一歩を進めて便所に試みて、其時は如何かあらうかと少し怖かったが、後で何ともない、「ソリャ見たことか、兄さんが餘計な、あんな事を云はんでも宜しいのぢゃ」と獨り發明したやうなものだが、是れ許りは母にも云はれず姉にも云はれず、云へば屹と叱られるから一人で竊(そっ)と黙って居ました。

 ソレカラ一つも二つも年を取れば自ら度胸も好くなったと見えて、年寄などの話にする神罰冥罰(しんばつみょうばつ)なんと云ふことは大嘘だと獨り自から信じ切て、今度は一つ稲荷様を見て遣らうと云ふ野心を起して、私の養子になって居た叔父様の家の稲荷の社(やしろ)の中には何が這入て居か知らぬと明けて見たら、石が這入て居るから、其石を打擲って仕舞って代りの石を拾ふて置き、又隣家の下村という屋敷の稲荷様を明けて見れば、神體は何か木の札で、之を取て棄てゝ仕舞ひ、平氣な顔して居ると、間もなく初午(はつうま)になって幟(のぼり)を立てたり太鼓を叩いたり御神酒(おみき)を上げてワイワイして居るから、私は可笑しい。「馬鹿め、乃公(オレ)の入れて置いた石に御神酒を上げて拜んでるとは面白い」と、獨り嬉しがって居たと云ふやうな譯で、幼少の時から神様が怖いだの佛様が有難いだのと云ふことは一寸ともない。

 卜筮呪詛(うらないまじない)一切不信仰で、狐狸が付くと云ふやうなことは初めから馬鹿にして少しも信じない。子供ながら精神は誠にカラリとしたものでした。或時に大阪から妙な女が來たことがある其女と云ふのは、私共が大阪に居る時に邸に出入をする上荷頭(うはにがしら)の傳法寺屋松右衞門(でんぽうじやまつえもん)と云ふものゝ娘で、年の頃三十位であったかと思ふ。其女が中津に來て、お稲荷様を使ふことを知って居ると吹聽する其次第は、誰にでも御幣(ごへい)を持たして置て何かを祈ると其人に稲荷様が憑據(とっつ)くとか何とか云て、頻りに私の家に來て法螺(ホラ)を吹いて居る。夫れから其時に私は十五六の時だと思ふ、「ソリャ面白い遣て貰はう、乃公が其御幣を持たう、持て居る御幣が動き出すと云ふのは面白い、サア持たして呉れろ」と云ふと、其女がつくづくと私を見て居て、「坊さんはイケマセン」というから私は承知しない、「今誰にでもと云たぢゃないか、サア遣て見せろ」と、酷く其女を弱らせて面白がった事がある(註。前項幷に此項は第二編にも出てゐる)

 といふてゐられる。

 

 <つづく>

 (2024.8.13記)