第3982回 『福沢諭吉伝 第四巻』その6<第一 北里の研究事業を助く(6)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第一 北里の研究事業を助く(6)

 

 (長與專齋「松香私志」)つづき

 會頭はありがたく感戴※1して直に北里へ傳達し、其の研究を續けしむることを得たり。然るに「テユべルクリン」は其の頃より反對の聲漸くに高かまり、翌廿五年に至りて其の絶巓※2に達せり。此の年北里歸朝しけるに、其の研究に供すべき場所も定まらず随ひて齎(もた)らし歸りたる研究材料も空しく行李の塵に委頓※3するの有様なりければ、衞生會は宮中の特恩を辱(かたじけな)くしたる次第もあればとて特に評議會を開きて研究所設立の事を相談したれども、是非の議論紛出して其事行はれざりき。然るに余一日(あるひ)福澤翁を訪ひける折り談偶々此事に及びしに、一時世間に喧傳して非常に人心を感動したる彼の「テユべルクリン」は近來何の沙汰もなく往々有害無效との聲をさへ聞けることあり事實如何の者なりやと問はれぬ。

 余は之に答へて、世間の評判は毀譽共に其の實に過ぎたれども此の發明は世の新藥新方と唱へて、一時に誇稱するが如き杜撰の者に非ず、只古弗(コッホ)の發表些(すこ)しく早きに過ぎたると社會の歡迎餘り仰山なりしとに由り早く反對者の攻撃を招き非難の聲も一層高きに至れるなり、されど「テユべルクリン」は古弗が數年前自から「テユべルケルバチルス」を發見し進で之を剋制※4するの方法を窮極せる結果として現はれたる者なれば、之に基ける將來の成功は如何に重大なるかも知るべからず、北里の如き此研究に關係深き人を目前に差置き乍ら歸朝以來半年の日子※5を閑却せしむるは惜むべきのかぎりなりとて、發明の由來現時の情況など事のあらましを告げ聞えぬ。

 

 ※1感戴:(かんたい)ありがたくおしいだくこと

 ※2絶巓:(ぜってん)山の絶頂。いただき

 ※3■委頓:(いとん)くたびれていること。くじけること。力が抜けること

 ※4■剋制:(こくせい)抑える。抑制する

 ※5■日子:(にっし)日数

 

 <つづく>

 (2024.7.14記)