第3981回 『福沢諭吉伝 第四巻』その5<第一 北里の研究事業を助く(5)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第一 北里の研究事業を助く(5)

 

 〇却説※1二十三年の冬、米國の一新聞は古弗(コッホ)氏「テユべルクリン」發明の報知を傳へ、肺結核其の他總て結核性諸病の新療法として我が普通新聞に轉載せられき(古弗は伯林(ベルリン)にて之を發達表したるのみ)。古弗の名は「コレラバチルス」「テュベルケルバチルス」の發明者として早く社會に轟きわたり、又近時何れの國も肺勞患者著しく増加し爾(しか)も適當の治療法なく人間の一大危難として忌み畏れたる折柄なれば、其の評判も忽地(たちまち)に醫俗の間に喧傳せられ、新聞雜誌は勿論日常の酒談茗話にも主なる談柄となり、恰も救世主の出現して不死の藥を授け給へるが如く、一切の肺病は危篤死に瀕したるものとても忽ち囘復蘇生するが如く持て囃されぬ。

 凡そ醫事に關する事にして斯の如く全世界の人心を聳動※2したるは蓋し古來未曾有と謂ふべきなり。されば「テユべルクリン」其物さへ未だ到着せざるに、奇效を衒ひ奇利を博せんとて、肺病新療法の廣告を出だし病院の建築を企つるなど投機的の醫師さへ處々に起りければ、政府はやがて規則を設けて其濫用を制し、私立衞生會にては獨乙在留の北里に交渉して「テユべルクリン」の送附を約し贋造品の輸入を妨がんことを力めたり。初め北里は衞生局の留學生として伯林に遊び、古弗の門に入りて深く細菌學に造詣し、「テユべルクリン」の發明に就きては最初より研究の業に參して幇助する所ありけるが、廿四年留學の期滿ちたりければ古弗よりも我が西園寺公使に相談して其の延期を内務省に請求し來り、衞生局の側よりも切に許可あらん事を斡旋したれども豫算の都合ありとて聞届けられざりき。

 依りて余等は更に私立衞生會々頭山田伯に謀り宮内省に請願する所ありけるに辱(かたじけな)くも聞召屆けられ、一年の留學費を下し賜はり、奬勵の辭令をさへ添へて同會に達せしめられぬ。

 

 ※1■却説:(かえってとく)話を転じてほかのことを説きはじめるときに用いる語。さて。さてまた(漢文の「却説(きゃくせつ)」を訓読みしたもの)

 ※2■聳動:(しょうどう)驚いて平静さを失うこと。驚かして動揺させること

 

 <つづく>

 (2024.7.13記)