第3938回 『福沢諭吉伝 第三巻』その586<第八 戰時の覺悟(6)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第八 戰時の覺悟(6)

 

 左の梅田又八宛書状の一節

 (前略)近來は日清交戰の沙汰にて、都でも唯その話のみ。先づ今日までの處にては我勝利なれども、この上如何可相成哉、最早斯くなる上は唯進むの一法あるのみ。國民一般都て私を忘れて國に報ずるの時と被存、人事に淡泊なる老生にても今度は默々に不忍、身分相應に力を盡す覺悟に御座候(下略)

 と、郷里中津の知友山口廣江に寄せた左の書状

 酷寒の時節皆々様御揃益御清安奉拜賀候。其後は打絶御無音のみ。實は去年夏以來外戰の一條、直接の關係は無之候得共何か忙しき思ひを爲して右の次第、あしからず御海容被下度候。實に今度の師(いくさ)は空前の一大快事、人間壽命あればこそ此活劇を見聞致候義、小生抔壯年の時より洋學に入て、随分苦しき目に逢ふたることもあり、世間の毀譽に拘はらず勝手次第に放言して、古學者流の役に立たぬことを説き、立國の大本は唯西洋流の文明主義に在るのみと、長き歳月の間喋々して止まざるも自から期する所はあれども、迚も生涯の中に實境に逢ふことはなかるべしと思ひしに、何ぞ料らん、唯今眼前に此盛事を見て、今や隣國の支那朝鮮も我文明の中に包羅せんとす、畢生の愉快、實以て望外の仕合に存候。戰爭も今より尚長く相成候事ならん、随て兵も多く、又随て軍費も大なることならんと存候得共、如何なる艱難に逢ふも中途にて止むべきにあらず、軍費の如きは國民が眞實赤裸になるまで厭ひ不申、弊家などにては疾くより其覺悟に罷在候。

 中津邊の人氣も同様の事ならんと推察致候得共、兎角引込思案に陥らざるやう、精々御説諭奉祈候。右寒中の御尋問旁申上度、對人候紙片は新年の詩なり、御一笑に供し候。匆々頓首。

  二十八年一月十七日     諭吉

   出口先生

      侍史

 とは、軍費に關する自身の覺悟を述べられたるもの。又出征中の塾員海軍大佐(後に少將)鏑木誠に宛てた左の書状

 御軍役御苦勞千萬奉存候。次第に秋冬風浪の時節に相成、別しての御事、今後の景況如何可相成哉。唯々勇を鼓して御奮戰抜群の御功名を祈るのみ。過日海洋島の劇戰勝利など實に愉快にて不堪、何卒破竹の勢を示して百戰百勝、目出度凱旋を奉待候。國内の人心は一致協同、四千萬の人民は四千萬の骨肉に異ならず、日夜戰地を望んで軍人の勞を謝するのみ。思付のまゝ今日小包郵便に託し、つくだにと甘納豆少し差上候やう家人へ申付置候。屆候はゞ御受納奉願候。右御見舞まで申上度、餘は凱陣萬歳の時を期し候。匆々頓首。

  二十七年十月五日      諭吉

   鏑木誠 様

       几下

 

 <つづく>

 (2024.5.31記)