第3935回 『福沢諭吉伝 第三巻』その583<第八 戰時の覺悟(3)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第八 戰時の覺悟(3)

 

 尚ほ其上にも事の終局に至り全勝萬々歳の曉に、其功名は誰に歸すべきやといへば、榮譽を専にするは在朝の文武官であって、民間に勞したものは大なる報酬もなく犬骨折って※1鷹の功名となるのみか、當局者はますます得意となって自分等の手柄を自慢することもあらうけれども、これも浮世の人情であるから、早く銘々に胸算を決して今日の苦勞は固より犬骨折りである、犬にても猫にても苦しくない、私情を忘れて國に報ずるのは國民の本分であって、眼中に物なし、たゞ日本國あるのみと觀念すれば、他日の失望もないであらう。我輩の目的はたゞ戰勝に在るのみである。

 戰に勝って我國權を伸ばし世界に對して日本人の肩身を廣くするの愉快さへあれば、内にいかなる不平不條理あるもこれを論ずるに遑ない、飽くまでも政府を助けて其運動を自由ならしめ、政略軍略共に一點の非もなきものとして、贊成せねばならぬ。

  第三 人民相互に報國の義を奬勵し

     其を美擧稱贊して又銘々に自

     から堪忍すべき事

 人心面の如く、今度の一大事に突て銘々一分の力を盡さんとするは、誰しも同一様であるけれども、其盡力の方法に至っては自から異なるところがある。或は身を致して從軍する者もあれば、言論を以て人氣を引立てんとする者あり、或は私金を投じて軍資を助けんとする者あり、品物を贈って軍人を慰めんとする者あり、醫師看護人は患者負傷者の爲めに勞し、神官僧侶は戰勝を祈る等、千差萬別各趣を異にすれども、其國のためにするの誠心は正しく同様なるが故に、苟くも其誠心の目的を誤らざるものなれば、事の種類と其方法とを問はず、すべてこれを美擧としてこれを賞讚奬勵し、天下一人も同感者の多からんことを求めねばならぬ。人間の性質は至極公平なるものであるけれども、其局部に就て見るときは、人々愛憎の心もあり、嫉妬の念もあって、他人の企てたことは自分の意に叶はず、事柄の得失を言はずして其發企者の誰れ彼れを評論し、贊成すべきことにも贊成せずして遂に機會を誤るのみか、自分が機會に後れたるの事を遂げんとして、却て他人のことを惡しざまに言做し※2、無責任なる冷評を逞うする者もないでないが、今度の一大事に就ては事の大小輕重に論なく、總て國民誠意の表るゝところで、曾て右等の俗氣を含むものがないのは快い次第である。或は稀に俗論の聞ゆることあるも、愛國の士はこれを意に介せずして各自の本分を盡すは勿論、更に一歩を進めて其俗論者に近づき、丁寧反覆説諭を加へて各々盡すところに盡さんことに努めねばならぬ。

 

 ※1■犬骨折って:(犬骨折り いぬほねおり)むだな骨折り。徒労(「(鷹狩では)いぬ骨折って鷹にとられる」から)

 ※2■言做し:(言做す いいなす)本当であるかのように言う。言いつくろう。うまく取り計らって言う

 

 <つづく>

 (2024.5.28記)