第3918回 『福沢諭吉伝 第三巻』その566<第六 日清開戰と先生の活躍(3)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。大正12年6月、慶應義塾評議員会は本書の編纂を決議し、石河に託した。9月に旧図書館内に編纂事務所を開設。それから7年有余を経て、昭和6年3月完成した。

<前回より続く>

 

第六 日清開戰と先生の活躍(3)

 

 (福沢の「時事新報」社説)つづき

 戰爭の前途固より計る可らず。彼の頑冥なる支那人が一戰に懲りずして、再擧三擧、手向ひせんとならば、我も亦これに應ずるは止むを得ざる勢にして、之が爲めに費す所は莫大の數なる可し。明治十年西南の役にも凡そ四千萬圓を費したりと云へば、今囘は迚も四千萬圓にて足る可きに非ず。而して其費したるものは固より國民全體の負擔にして、早晩一度は之を償はざるを得ず。西南の軍費は、時の政府の姑息策に由り、紙幣を濫發して經濟社會に輕からざる餘毒を流したることあり。

 今度は左る失策もなからんと思へども、國庫缺乏するに付ては、税率を改め、又は新に税源を求むる等、多少の變動を生じて、間接直接に經濟社會の秩序を紊(みだ)ることなきを期す可らず。然るに一方より事の實際を見れば、凡そ經濟上に戰爭の禍は慢性病に非ずして、切疵(きりきず)の流血淋漓たるものに異ならず。要は唯速に救治法を施すに在るのみ。全癒は案外に容易なるを常とす。故に今度の軍費を何千億萬圓と聞けば其聲甚だ大なるに似たれども、時を猶豫せずして一時に償ふときは唯一時の奮發を以て事を了りて、僅に半年か一年を經過するに髄ひ、殆んど忘れて自から覺えざるに至る可し。是即ち我輩が一方に經濟社會の秩序を重んずると同時に、一方に我同胞の愛國心に訴へ一時に軍費の醵出を勸告する所以なり。

 日本國民の資力乏しからざるも、一時に何千萬圓の軍費醵出は成り難しとの説もあらんかなれども、金の多少は唯人心の冷熱如何に存するのみ。苟も誠意誠心熟して國の爲めにせんとするときは、金は不思議の邊より湧出して、然かも之が爲めに毫も國家の經濟上に變動を見ざるの事例こそ多けれ。例へば近年成功したる六條東本願寺の普請には凡そ一千萬圓を費し、又去年は同寺の會計整理の爲めとて門末信者より醵出したる金額は、凡そ一箇年の間に百五十萬圓に上りたりと云ふ。東本願寺の門徒を二百萬人として、一箇年に百五十萬圓は毎一人に付き七十五錢の出金なり。彼の本堂の千萬圓は一人五圓づゝの割合にして随分輕からざる負擔なれども、信者の熱度高ければ醵金の道筋誠に滑にして、各地方の經濟に何等の異動あるを聞かず。

 

 ※■:流血淋漓:(りゅうけつりんり)血がたらたらと流れているさま。出血が激しいこと(「淋漓」は、涙や汗や水が滴り落ちるさま)

 

 <つづく>

 (2024.5.11記)