第3852回 『福沢諭吉伝 第三巻』その500<第六 同窓會と先生の招宴(3)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。大正12年6月、慶應義塾評議員会は本書の編纂を決議し、石河に託した。9月に旧図書館内に編纂事務所を開設。それから7年有余を経て、昭和6年3月完成した。

<前回より続く>

 

第六 同窓會と先生の招宴(3)

 

 一、唐人往來         二部

 此中一部は先生自筆の原本にして、他の一部は寫本なり。文久年間攘夷論の盛んなる頃、外國交際の不利ならざるを論じたるものにて、當時先生の卓見識量を追想するに餘りあり。

 一、百兒築城書        六冊

 一、同圖           一冊

 之は其原書和蘭文なりしを先生の飜譯したるものにて、百兒(ペル)氏著述の築城書なり。先生は此書の爲め殊に説明書を添へて陳列所に出したるが、其説明に依れば先生尚ほ若年にして、大阪なる緒方洪庵先生の塾に遊學したる頃、中津の知人より一時其原書を借用して家に歸り、夜を日に繼ぎて之を謄寫し、原本をば所有主に返却して、謄寫の横文に依り飜譯したるものなりと。先生が在學中如何に刻苦勉強したりしかは、此書に依りて明かなるべし。

 一、英清字書 二冊 一千八百四十七年版

 此書は先生が英國倫敦にて購ひしものにして、當時火災後の爲め其價非常に高く、五磅(ポンド)を出して買受けたりと云ふ。

 一、三田演説會々則      一部

 之は明治七年三田に於て演説會創始の際定めたる會則にして、會員は殘らず花押を用ひたり。是れ我國に於ける演説の嚆矢なり。

 一、西航記          一部

 文久年間先生歐洲へ渡航の時の往復日記にして、當時先生が歐洲の風俗習慣を看破したる跡、曆々紙上に溢る。

 一、慶應義塾姓名録

 舊藩々の名目行はれたる頃より廢藩の後に至るまでの同塾入社姓名録にして、中津藩小幡篤次郎、紀州中納言家來小泉信吉など云へる名を列記せり。

 以上の外、芝新錢座より芝三田へ義塾移轉の時の願書に、町人福澤諭吉乍恐奉願上候など記したる當時評判の古文書もありしが、其數澤山故一々爰所に掲げず。左の目録に依りて其一班を知る可し。

 一、天保四年邸内地圖     一枚

 一、慶應義塾邸内地圖     一軸

 一、福澤先生自筆慶應義塾紀事巻物 

    一巻

 一、英吉利文典(青表紙木葉文典)

    一冊

 一、慶應義塾勤怠表      一巻

 一、同金錢出納帳       一冊

 一、横文和本英國史      二冊

 一、雷銃操法

 此書は長州征伐の頃先生が新式銃術の操法を説明したるものにして、西洋事情初篇と共に先生の著述中印行頒布されたるものゝ最初の本なり。

 註 以下先生の著書名のみであるからこれを略す。 

  (明治二十八年五月八日「時事新報」)

 

 <つづく>

 (2024.3.6記)