第3801回 『福澤諭吉伝 第三巻』その449<第三十六編 【附記】(2)> | 解体旧書

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石河幹明著『福澤諭吉傳』全4巻(岩波書店/昭和7年)。<(先生の)逝去後既に二十餘年を經過して、(中略)先生に關する文献資料も歳月を經るに從ひおひおひ散佚して、此儘に推移するときは先生の事積も或は遂に煙滅して世に傳はらざるの憾を見るに至るであらう>自序より

<前回より続く>

 

第三十六編 【附記】(2)

 

 渡船旅亭恰も暴人刺客と雜居するが如く、怖心に暗鬼を生じ、草も木も皆敵の如くに思はれて、其不愉快なること實に譬へんにものなし。今にも心に記して忘れざるは、東海道中にて毎度巡禮又は伊勢參宮の者共が菅の笠に何國何郡何村の何某と筆太に記して悠々戯れながら往來する者に行逢ふたるの一事なり。余は道すがら之を見送り又見迎へて慨嘆に堪へず、扨も扨も羨しきこと哉、青天白日己が姓名を笠に記して天下に横行するとはさぞかし愉快なることならん、これを余が身の上に引較べて如何ぞや、身分を隠し職業を僞り、道中某驛に泊らんとして俄に一宿を驅け抜け、又は間道を𢌞はり、投泊すれば宿帳には不本意ながら様々に僞名を記し、甚だしきは沿道に舊相識の家を見るも、空しく其門前を過ぎて之を尋問することさへ叶はざるが如き、實に無罪の罪人とも云ふ可きか、人生字を知るこそ身を苦しむるの媒介なれ、迚も一生涯の中に彼の巡禮の快樂境界に逢ふことはなかるべし、百年の後には人の知ることもあらんかと、他人に告るも益なく、獨り心に觀念したるは今を去る二十年前後の事なりき。

 然るに驚くべきは時勢の變遷にして、今日余は福澤諭吉と名乘りて、青天白日に東海道を過ぎ伊勢伊賀を越え京阪紀州江州濃洲尾州を通行して一點の危險なきのみか、到る處無數の親友に逢ひ、其厚遇は春の海の如く、友情は百花の芳しきに似たり。安心に快樂を生じ、滿目の山水草木までも皆朋友ならざるはなし。況んや各處の汽車汽船に乘り、電信郵便は家郷の音信を便にするに於てをや。恰も是れ文明器械的の親友に直接するものなれば、一として情を慰めざるものなし。一として心を滿足せしめざるものなし。昔年彼の巡禮を羨みし時の事を思へば、恍として諭吉の身は一身にして二生あるものゝ如し。故に今囘各地方の新舊知己の士人が余を遇するの厚き、實に望外に出でたる仕合にして既に無上なりと雖ども、余が身に於ては此現在の厚遇を蒙りながら、獨り心に時勢の變遷を思廻して一入その厚に感ずるものなり。

 蓋し我れに得る所あれば、又随て報る所のものなきを得ず、余は既に各地士人の優待厚遇を得たり、何を以て之に報ひん、唯今後もいよいよますます西洋文明の主義を擴張して怠らざること三十年來の如くし、文事敎育に心を盡して天下の人と共に文明富強の大任を私に負擔せんとするの婆心あるのみ(明治十九年四月十日所載)

 

 <つづく>

 (2024.1.15記)