<前回より続く>
第三十六編 【附記】(1)
左記は全國漫遊の第一囘旅行、即ち明治十九年春の東海道京阪地方の遊歷から歸京せられたとき「時事新報」の社説として先生の記されたものである。
〇歸京後各地の士人に謝す
余が日本内地の旅行を企てたるは一朝一夕の事にあらず、十五六年前より、今年は必ず、明年は是非共と、日一日を送りて、扨今日と決し難く、遂に本年にまで延引したりしが、去りとては際限もなく、殊に余が旅行の目的は所謂名所舊跡を尋るにもあらず、山水の景勝を訪ふにもあらず、又時事を語り政治を談ずるが如きも、固より思寄らぬ事にして、唯民間の古風習慣を其未だ大に變化せざるに及んで視察し、以て後年の參考に備へんとするまでの趣意なれば、緩なるに似て緩ならず、乃ち無理に三週餘の時を倫(つい)で、三月十日東京を出發し、陸路東海道の岡崎驛より左に折れて尾州の龜崎に至り、夫れより汽車と汽船の便にて四日市に達し、勢州津より伊賀を越えて奈良大阪に至り、大阪に留ること數日、この間に紀州和歌山と神戸港に行き、復た大阪に返りて京都へ上り、大津より汽船にて長濱へ上陸、大垣岐阜を經て名古屋に着し、再び四日市に出でゝ汽車に乘り、東京に歸來したるは本月四日なり。
扨地方に出れば何れの處にも知る人あらざるはなし。啻(ただ)に舊知人のみならず、随處の紳士官民の別なく其待遇の厚き實に望外に出で、一泊一休、いまだ送る人に別を告げずして更に迎る人に逢ひ、時に或は盛宴を張り又閑遊を共にし、舊相識と新相識と談笑自由の快樂は天下到る處皆故郷にして、其一泊一休は故郷より故郷に移るものに異ならず。唯余が身に取りて不安なるは、斯くも東道の主人を煩はして、客のためには無上の幸なりと雖ども、其主人は則ち何れも地方有爲の人物にして、一刻千金も啻ならざる其貴重なる時間を費さしめたるの一事のみ、實に謝する辭なき次第なり。
又余が一身を顧みて三十年来の事を囘想すれば、徳川政府の末年、王政維新の前後、滿天下の風濤は鎖國攘夷に吹荒れて、苟も西洋文明主義の人とあれば兩間に身を容るゝの地なきものゝ如し。當時余は江戸に住居したれども、維新の前後十餘年の間は日沒後一歩も外出したることさへなし。稀に或は郷里に歸省のため道中に出ることなどあれば、行逢ふ人ごとに怪しからざるはなし。
<つづく>
(2024.1.14記)