ハチワンダイバーって漫画があるじゃあないですか。知らないって人は、まあ、将棋の漫画。

この説明の仕方は、例えば、パブロ・ピカソを、"スペイン出身の画家"、
の一言で切り捨てるようなものなんだけれど、まあ今日の日記はハチワンについて語るものではないので、
ファンに正統派八極拳かまされて、俺の身体がコンクリートをぶち抜くほどの勢いで打ち飛ばされる覚悟で、
まあいいことにしておく。

で、そのハチワンダイバー、ここ一ヶ月位は、シュークリームうんぬんの話(違)をしております。

俗に、人間の体内機関の中で一番大食いなのは脳と言われておりまして、それを示す例として、
おおよそ運動とは縁の無い、漫画家という職業である手塚治神が、物凄い大食いかつ、
食べても食べても太らなかったのは、神の脳味噌をフル回転させていたから、
等というものがあったりするんですな。

脳味噌をフル稼働させる、即ち頭脳労働といえば、もちろん将棋を打つことも当てはまり、
それに携わるプロ達、プロ棋士の方々は、頭脳労働者の最たるものであると言え、
現実に、長時間に及ぶシビアな対局を制するため、頭をフル回転させるための燃料として、
時に尋常ではない量の食物、特に、エネルギーに直結させやすい糖分が豊富な、
甘味を補給する事があるそうです。


少々話は変わって、世の中には刑務所と言う施設があります。
ご存知のとおり、何らかの理由で罪を犯した人間が住まう場所でありまして、
そういった人々は囚人と呼ばれます。

この囚人の中にも格付けがあり、簡単にすれば、模範的な態度を取っている模範囚、
規則を守らず、反抗的な態度を取り続ける不良囚という区分けですが、実際はもっと細かく、
素晴らしい模範囚、ちょっといい模範囚、普通の囚人、カス、みたいな感じになっておりまして、
この内、(刑務所によって基準は違うらしいが、おおむね)素晴らしい判定を受けた人間のみ、
定期的に開かれるご褒美イベントに参加することを許されると言う事があるそうです。

このご褒美イベントとは、特に甘味がきつい部類に属する清涼飲料水と、
やはり、上品な舌の方々にとってはしつこいと感じられる程の甘味の菓子を手渡された上で、
映画等の鑑賞を許されると言うものなんだそうですな。


人間の舌は、中国的な思想では五つの味を感じる事が出来るといいます。
酸、鹹、甘、苦、辛の五つですが、甘、というものは、上記の例を見ても、他の4種に比べ、
特別な意味があるように感じおりましてね、常々。

大体からして、他の4つと比べても、甘、つーのは、唯一、マイナス的な意味が無い漢字じゃない。
苦、辛、酸、は言うに及ばず、鹹というのは馴染みが薄い字だけれど、しょっぱいという意味。

辛というのは味覚ではなく、痛覚で感じているというのは有名な話だけれど、
甘味と言うのは、味覚と快感神経で味わっているような気がするんだよねえ。

俺ねえ、アルフォートってあるでしょ、あのブルボンから出ているチョコビスケット。
アレを一個頬張って、適当に噛み砕いた後、雪印の甘さがドギツイコーヒー牛乳で流し込むのが大好きなんよね。
旨い、ってんじゃあないのよね、ただひたすら快感なのよ。あの甘さの氾濫が。

ごくんって飲み込むと同時に、うなじの辺りからゾクゾクが身体を下っていって、
最終的に足のつま先がピンって張るような感触がするのよね。
カツが入るって、こういう感覚を言うのだな、って思うんだわ、やる時。

普段俺は甘い物をほとんど食べない人なのよ、だけど時々、どうにもこうにも欲しくなる時があって、
そういう時は上記の、アルフォート+コーヒー牛乳をやっている訳。
で、最近職場でどうにも我慢できなくなって、ゾクゾクしていたのを同僚に見られてしもうたのよねん。

んま、コーヒー牛乳とアルフォートの食べ合わせってすげえな、って言われたんだけどさあ、
アレなのか、やっぱり俺が特異なのかねえ。プロ棋士の、フルーツと柑橘系ジュースの食べあわせとか、
クライマーの人々の、チョコバーとココアの食べ合わせとか見ると、然程おかしいとは思わんのだけど。

とはいえ、つま先 ピン でググると1ページ目にオナニーって出てくる上に、
よく考えたら羽生名人とか、一二三先生とかは、つま先が張るような感覚がするなんて一言も述べてないし、
正直、俺がまるっきり変態なだけだとは思うんだけどさあ。

どっかに同好の士っておらんでしょうか?
このブログ見に来ている人の中になら、いそーなもんだが。
「おはよう」って言うと、何の返答もない。
コミュニケーション障害の方ですか? いいえ、誰でも。


挨拶が出来るとかできないとか、特にフレッシュマンの時期が終わり、
新緑の季節の終わり頃になりますと、毎年のように問題として取り上げられている、
そんな事柄だと思います。

さて、この挨拶と言うものですが、結局のところ、何故しなければならないのでしょうか。
挨拶の実行と不実行という事柄は、上記のように毎年のように問題として討論されているにも関わらず、
何故だか、それをしなければならない非常に説得力のある理由、の存在は必ずと言っていいほど無視され、
しない人間はありえない、という結論のみがお決まりにはじき出されているように感じます。

でもまあ、そんなの当たり前なんですよね。
本当は、"挨拶なんかしなくたって、別にどうってことはない"んですから。
いや、本当ですよ。
挨拶なんかしなくたって、怪我をしたり、まして、命を落としたりすることはないと言えますから。


ただ、"挨拶をしないこと"で生じるデメリットはそれなりにあります。
特に大きいのは、少なくとも日本という国で、何らかの集団生活をしなければならない場合、
その集団を構成する人間のほとんどが"挨拶を要求する"ということに起因する、
疎外される可能性が高くなる、というものです。

別に、常に周囲の人間に足下を掬われ、転んだところを更に滅多打ちにされかねない状況に置かれても、
風も熱さも寒さもない、平坦な無人の野を行くかのごとく平然としていられるのならば、
"挨拶をする"必要など微塵もないのです。

他にも、例えば社会人であるならば、"挨拶をしない"ことで、取り分け人と接する必要がある、
サービス業や営業職といった人々の場合、業務に支障を来たすこともありえますでしょうが、
別に永久に窓際、最悪無職になることが怖くなければ、やはり"挨拶をする"必要などありません。


実際問題、"挨拶をするのが普通"だと何故か思い込んでいる人間が、世の中の大多数を占めていて、
"挨拶をしない"ことはありえない、"挨拶をしない"人間は不快だとか低俗な人間とみなし、
時に敵意をむき出しにしてくる事が多いから、"挨拶をする"必要性があると言われているのでしょう。


そもそも、挨拶は礼儀の一つでして、礼儀とは敬意を表す作法のことを指しますです。

敬意、敬う意、相手を尊敬する気持ちの事ですが、この挨拶うんぬんの話の場合は、
もっと砕いて解釈し、相手に対する配慮とか、心遣いとかそういう意味合いに取るべきでしょう。

うん、挨拶つーのは本来的には即ち、心遣い、厚意なのですな。
では、その厚意の目的というのは何かといいますと、こりゃアレですよ、やっぱりと言おうか、
対人関係の構築、というか、やり取りをしやすくするための取っ掛かり、もっと平たくいえば、
ぼかあ貴方に心を開いてますよという態度の表れ、って感じでしょう。

別に、挨拶なくして関係は築けず、って訳ではないんですが、
挨拶あれば関係は築きやすい、というのは、たいていの場合において真となりましょう。

ん~だからこそね、俺は”挨拶する必要性”なんてこれっぽちもないと思うのよ。
敬意を払いたくない相手、心を開きたくない相手には、本来する必要の無い行動なんだからな。


だってさあ、同僚には挨拶するけれど、同じテナントビルの違うテナントの人に声をかけられても無視、
清掃のオバちゃんも無視、っていう人は決して少なくないことを見ても分かるじゃない。

職場の同僚には挨拶する、しかし、一部の(特に嫌悪感がある訳でもない)人には全くしない、というのは、
挨拶してもメリットがない、それらの人とコネクションを築いても意味がないと考えているんだろうから、
そういう選択を取っている訳でしょう、ありゃ。

挨拶ってのは、人間関係を築きたい対象にだけすればいいものだと、割と多くの一般社会人が体現してるのよ。
だからさ、"挨拶をしない人間"が身の回りにいたとしても、それについてどうこう言うのはお門違いじゃね?
多分その人は、おたくらと馴れ合う気持ちなんか一切ないんだよ、位に考えているんだよ。
もちろん、そういった人に対してそれなりの態度で接する事もまた、間違っていないと思うけどね。


んで、俺はどーかと言うと、基本人の顔色を伺ってビクビクしている上に、
どんな人とでも一度は交流を持って見たがる超絶ぼっちタイプなので、
挨拶および返礼は絶対欠かしませんなあ。
そこにもちろん礼儀はあるが、気高さはないね。むしろ、浅ましさに塗れたものであるよ。


美しい挨拶が出来る人になりたいねえ。
エンカウントっていう言葉があります。
encounterという英単語、読みはエンカウンターですな、一見こいつ、
上記のエンカウントという単語の活用形に見えますが、実際のところは違います。

そもそもenncounterという単語は、遭遇するとか直面するという意味であって、例えば、
語尾にerが付く別の単語、runner(走者)だとかripper(切り裂き魔)、nigger(検閲)とは異なり、
遭遇者とか、接触者という意味ではないんですな。

つか、encountと言う単語自体が英語には存在しないんだって。
エンカウントというのは、恐らく、encounterを、遭遇者という意味だと勘違いしてしまった、
ちょっとオマヌケな日本人が作り上げた和製英語なんだな。

とはいえ、ランダムエンカウンターってなんか語呂があまりよくないような感じがするので、
エンカウントという単語を生み出したその勘違いに、僕は! 敬意を表する!
(でも、英語圏ではしっかり、ランダムエンカウンターって使われているんだって)。


して、自分は今一応、社会人として働いている訳です。
今の仕事、可もなく不可もなく、まあ毎日それなりに満足しつつ過ごしている訳ですが、
一つだけ、今の職場、今までとは大きく異なる点があるんすよね。

それはね、我が人生で初めて、ヲタと呼んでもいい等級(濃さ)のヲタに出会えたの。
しかもオープン、リア充もイケメンもいる職場で、自分がヲタであることをこれっぽちも隠そうとしない人。

だからなんだって言われても困るんだけど、いやーね、今までね、
オープンには違いないけど、なんちゃってヲタとかにわかヲタとか、
酷いヲタ臭がするけどカモフラージュが上手くて、決定打を放てない人はたくさん見てきたけど、
自分と同レベルの深さを持ちつつオープンなヲタの人はね、正直ね、初めて見たのよ。

俺、なんか感動しちゃってさ……リアルにいたんだな、こういう人って思ってさ……。
ちょっとした、ロイ・ニアリーの気分になっちゃったよね。


その彼ってのは、ちょっと年下なんだけどさー、彼は、話を聞いてる限りだと、
人生で一度もヲタであることを隠さず生きてきたそうだ。

何だろーねコレ、ジェネレーションギャップなのかな。確かに、3歳違えば同種の別の生き物だとか言うけれど。
俺、普通にリアルでは、ヲタであることを大っぴらにカミングアウトしたことなかったからなあ。
カミングアウト=悲惨な目に合うってのが相場だったからねえ、怖くてできませんでしたよ。


被差別者になった人間を見てきたものと、そうでなかったものの違いなんだろうかね。
俺は、ヲタ=被差別者って大衆の価値観を常に感じていたんだよね。
それは、俺の被害妄想だったんだろうかねー、なんてちょっと思っちゃったりもした。
しただけ、なんだろうけど。

まま、何れにしろ、彼の影響か、俺が自分にちょっとだけオープナーになったおかげで、
何か彼は俺のことを気に入ってくれている(リア充先輩とイケメン先輩曰く)らしいし、
それはそれでいい。悪くはない。彼と会話することで、生活に張りが出ているのは事実だしね。


珍しくオチはない。