「おはよう」って言うと、何の返答もない。
コミュニケーション障害の方ですか? いいえ、誰でも。


挨拶が出来るとかできないとか、特にフレッシュマンの時期が終わり、
新緑の季節の終わり頃になりますと、毎年のように問題として取り上げられている、
そんな事柄だと思います。

さて、この挨拶と言うものですが、結局のところ、何故しなければならないのでしょうか。
挨拶の実行と不実行という事柄は、上記のように毎年のように問題として討論されているにも関わらず、
何故だか、それをしなければならない非常に説得力のある理由、の存在は必ずと言っていいほど無視され、
しない人間はありえない、という結論のみがお決まりにはじき出されているように感じます。

でもまあ、そんなの当たり前なんですよね。
本当は、"挨拶なんかしなくたって、別にどうってことはない"んですから。
いや、本当ですよ。
挨拶なんかしなくたって、怪我をしたり、まして、命を落としたりすることはないと言えますから。


ただ、"挨拶をしないこと"で生じるデメリットはそれなりにあります。
特に大きいのは、少なくとも日本という国で、何らかの集団生活をしなければならない場合、
その集団を構成する人間のほとんどが"挨拶を要求する"ということに起因する、
疎外される可能性が高くなる、というものです。

別に、常に周囲の人間に足下を掬われ、転んだところを更に滅多打ちにされかねない状況に置かれても、
風も熱さも寒さもない、平坦な無人の野を行くかのごとく平然としていられるのならば、
"挨拶をする"必要など微塵もないのです。

他にも、例えば社会人であるならば、"挨拶をしない"ことで、取り分け人と接する必要がある、
サービス業や営業職といった人々の場合、業務に支障を来たすこともありえますでしょうが、
別に永久に窓際、最悪無職になることが怖くなければ、やはり"挨拶をする"必要などありません。


実際問題、"挨拶をするのが普通"だと何故か思い込んでいる人間が、世の中の大多数を占めていて、
"挨拶をしない"ことはありえない、"挨拶をしない"人間は不快だとか低俗な人間とみなし、
時に敵意をむき出しにしてくる事が多いから、"挨拶をする"必要性があると言われているのでしょう。


そもそも、挨拶は礼儀の一つでして、礼儀とは敬意を表す作法のことを指しますです。

敬意、敬う意、相手を尊敬する気持ちの事ですが、この挨拶うんぬんの話の場合は、
もっと砕いて解釈し、相手に対する配慮とか、心遣いとかそういう意味合いに取るべきでしょう。

うん、挨拶つーのは本来的には即ち、心遣い、厚意なのですな。
では、その厚意の目的というのは何かといいますと、こりゃアレですよ、やっぱりと言おうか、
対人関係の構築、というか、やり取りをしやすくするための取っ掛かり、もっと平たくいえば、
ぼかあ貴方に心を開いてますよという態度の表れ、って感じでしょう。

別に、挨拶なくして関係は築けず、って訳ではないんですが、
挨拶あれば関係は築きやすい、というのは、たいていの場合において真となりましょう。

ん~だからこそね、俺は”挨拶する必要性”なんてこれっぽちもないと思うのよ。
敬意を払いたくない相手、心を開きたくない相手には、本来する必要の無い行動なんだからな。


だってさあ、同僚には挨拶するけれど、同じテナントビルの違うテナントの人に声をかけられても無視、
清掃のオバちゃんも無視、っていう人は決して少なくないことを見ても分かるじゃない。

職場の同僚には挨拶する、しかし、一部の(特に嫌悪感がある訳でもない)人には全くしない、というのは、
挨拶してもメリットがない、それらの人とコネクションを築いても意味がないと考えているんだろうから、
そういう選択を取っている訳でしょう、ありゃ。

挨拶ってのは、人間関係を築きたい対象にだけすればいいものだと、割と多くの一般社会人が体現してるのよ。
だからさ、"挨拶をしない人間"が身の回りにいたとしても、それについてどうこう言うのはお門違いじゃね?
多分その人は、おたくらと馴れ合う気持ちなんか一切ないんだよ、位に考えているんだよ。
もちろん、そういった人に対してそれなりの態度で接する事もまた、間違っていないと思うけどね。


んで、俺はどーかと言うと、基本人の顔色を伺ってビクビクしている上に、
どんな人とでも一度は交流を持って見たがる超絶ぼっちタイプなので、
挨拶および返礼は絶対欠かしませんなあ。
そこにもちろん礼儀はあるが、気高さはないね。むしろ、浅ましさに塗れたものであるよ。


美しい挨拶が出来る人になりたいねえ。