昨日の日記とちょっと関連していますが、正確な歌詞の内容サッパリ分かりはしないのに、
妙にある歌曲が耳に残ったと言う経験、誰しも一つはあるものだと思うのです。
俺自身の経験としては、昨日の、坂本龍一先生の2曲以外を初めとして、他にも色々とありまして、
その一つに、今、サントリーのウーロン茶の新商品のCMで使われている、"恋するシャンソン人形"がありましてな。
結構前の、ソフトバンク携帯のCMでも使われていましたし、ほぼ1年周期で何かのCMに使われている気がします。
この曲、youtubeでもニコニコでも聴くことが出来るので、実物がどういう曲なのかは、
ご自分で調べていただくとして……多分、それを調べていく内に引っかかると思いますが、
歌詞の内容が、実は、物凄いブラックなんですよね。
詳しくはそっちも調べていただければと思うんですが、簡潔に解説すると、
"恋も愛も知らない癖に恋とか愛を歌い上げる、蝋人形さんの歌"って感じです。
これを反体制を身上とするロックバンドが歌い上げていれば、それはそれで主張の利いた楽曲だった訳ですが、
歌っていたのはアイドル、それも正に、ガチで恋も愛も色事もよく知らないアイドル、
この歌の後、歌詞全体にフェラチオの意味が縫い付けられていた別の曲を、
棒付きキャンディをペロペロするという振り付けつきでニコニコ歌い上げていた事を知り、
鬱になって引きこもりになってしまった(本当)超清純派アイドル、フランス・ギャルという少女でした。
もちろん、このシャンソン人形の歌詞の意味にも気づいてなかったそうですぞ。
頭が緩いというアイドルの条件も満たしている訳だなあ。
この夢見るシャンソン人形、原題は"音の出る蝋人形"も、上記の、
鬱を招いたフェラチオソング(邦題はアニーとボンボンという)も、
セルジュ・ゲンスブールという天才が書いた曲なんですけれど、ブラックですねえ、怖いですねえ。
さて、夢見るシャンソン人形、その音色とアンニュイ感漂う歌い上げ、
アイドルを皮肉った歌詞をアイドルに歌わせるという、物凄く強烈なブラックさ、
その辺りにスポットが当てられて語られることが多いんですが、しかし、
そんな、"中身の伴わないアイドルという存在に踊らされる愚民ワロス"って意味も恐らくあることには、
何故かあまり触れられていませんな。
だってね、歌詞中に、"私の周りで笑い声がする、私の歌で踊っているぬいぐるみ達ね"って部分があるんすよ。
その後の歌詞の、"あの子達は[うん]とか[いや]のために誘惑に身を任せてしまうわ"ってのがあるもんで、
「私は賢いからそんな真似はしないわ」なんて、恋愛のベテラン然とするネンネを馬鹿にする歌詞、
下手すれば、ぬいぐるみ達の笑いは、蝋人形=アイドルへの嘲笑、と、取るのが普通っぽいと思われがちです。
が、ゲンスブールの黒い天才っぷりからすると多分、
蝋人形は蝋人形で何も知らないくせにしたり顔をするアホだが、
それに躍らされているぬいぐるみも救いようがないアホだね、
つまり、ぬいぐるみも蝋人形も全部バカジャネーノって解釈すべきだと思うんですよ。
根拠? ないよ。
ただね、作ったのがゲンスブール氏だからってことだね。
黒い詞を綴った時のゲンスブール氏の歌詞は、とことんまで黒く解釈するべきだと思うのよ。
少々行き過ぎた解釈をすればこの歌、もっともっと黒く塗る事もできる。
まず第一、何ゆえアイドルを、数ある人形から蝋人形と例えたのかであるけれど、
これは恐らく、彼にとってのアイドルと言う存在のイメージが、”補修された死体”であったからではなかろうか。
蝋人形の元祖は、そのもの、死体を保存するための技術だったりする。
現実に、近頃はそうでもないが、蝋人形館といえば、何故か陰惨な展示物がつきものであるが、
それは、蝋人形自体の生い立ちとは無関係ではないと思われる。
蝋人形--即ちアイドルは、所詮、補修された死体。
美しい外見は取り繕いに過ぎず、そして補修しようとする人間が耐える事がないため、
自身の意志で朽ちる事はできず、永遠に眠ることのできない見世物。
もちろん生のない彼女達には、シャンソン人形の、いやさ、音の出る蝋人形の締めの歌詞のように、
"いつか自分が歌う歌のように生きる"ことも、"男の子の愛情を正面から受ける"ことも、できはしない。
ただただ、それを思い描き続ける事に終始するのだ。
そうね、解釈できると思うのよ。もちろんこう解釈すると、その塗り固められた死体の歌に、
踊らされる人々と言うのは、非常にこう……ああ黒い! 黒過ぎ!
うん、我ながらあんまりな解釈だなー、俺の趣味ガモガモやん。
しかしね、セルジュ・ゲンスブール氏は天才なんだ。
天才と対するならば、あらゆる方策を述べるのがまず筋というものであろう。
よって、かようにくだらん解釈であっても、とりあえず並べて見るのが正しいと思うのだよ。
妙にある歌曲が耳に残ったと言う経験、誰しも一つはあるものだと思うのです。
俺自身の経験としては、昨日の、坂本龍一先生の2曲以外を初めとして、他にも色々とありまして、
その一つに、今、サントリーのウーロン茶の新商品のCMで使われている、"恋するシャンソン人形"がありましてな。
結構前の、ソフトバンク携帯のCMでも使われていましたし、ほぼ1年周期で何かのCMに使われている気がします。
この曲、youtubeでもニコニコでも聴くことが出来るので、実物がどういう曲なのかは、
ご自分で調べていただくとして……多分、それを調べていく内に引っかかると思いますが、
歌詞の内容が、実は、物凄いブラックなんですよね。
詳しくはそっちも調べていただければと思うんですが、簡潔に解説すると、
"恋も愛も知らない癖に恋とか愛を歌い上げる、蝋人形さんの歌"って感じです。
これを反体制を身上とするロックバンドが歌い上げていれば、それはそれで主張の利いた楽曲だった訳ですが、
歌っていたのはアイドル、それも正に、ガチで恋も愛も色事もよく知らないアイドル、
この歌の後、歌詞全体にフェラチオの意味が縫い付けられていた別の曲を、
棒付きキャンディをペロペロするという振り付けつきでニコニコ歌い上げていた事を知り、
鬱になって引きこもりになってしまった(本当)超清純派アイドル、フランス・ギャルという少女でした。
もちろん、このシャンソン人形の歌詞の意味にも気づいてなかったそうですぞ。
頭が緩いというアイドルの条件も満たしている訳だなあ。
この夢見るシャンソン人形、原題は"音の出る蝋人形"も、上記の、
鬱を招いたフェラチオソング(邦題はアニーとボンボンという)も、
セルジュ・ゲンスブールという天才が書いた曲なんですけれど、ブラックですねえ、怖いですねえ。
さて、夢見るシャンソン人形、その音色とアンニュイ感漂う歌い上げ、
アイドルを皮肉った歌詞をアイドルに歌わせるという、物凄く強烈なブラックさ、
その辺りにスポットが当てられて語られることが多いんですが、しかし、
そんな、"中身の伴わないアイドルという存在に踊らされる愚民ワロス"って意味も恐らくあることには、
何故かあまり触れられていませんな。
だってね、歌詞中に、"私の周りで笑い声がする、私の歌で踊っているぬいぐるみ達ね"って部分があるんすよ。
その後の歌詞の、"あの子達は[うん]とか[いや]のために誘惑に身を任せてしまうわ"ってのがあるもんで、
「私は賢いからそんな真似はしないわ」なんて、恋愛のベテラン然とするネンネを馬鹿にする歌詞、
下手すれば、ぬいぐるみ達の笑いは、蝋人形=アイドルへの嘲笑、と、取るのが普通っぽいと思われがちです。
が、ゲンスブールの黒い天才っぷりからすると多分、
蝋人形は蝋人形で何も知らないくせにしたり顔をするアホだが、
それに躍らされているぬいぐるみも救いようがないアホだね、
つまり、ぬいぐるみも蝋人形も全部バカジャネーノって解釈すべきだと思うんですよ。
根拠? ないよ。
ただね、作ったのがゲンスブール氏だからってことだね。
黒い詞を綴った時のゲンスブール氏の歌詞は、とことんまで黒く解釈するべきだと思うのよ。
少々行き過ぎた解釈をすればこの歌、もっともっと黒く塗る事もできる。
まず第一、何ゆえアイドルを、数ある人形から蝋人形と例えたのかであるけれど、
これは恐らく、彼にとってのアイドルと言う存在のイメージが、”補修された死体”であったからではなかろうか。
蝋人形の元祖は、そのもの、死体を保存するための技術だったりする。
現実に、近頃はそうでもないが、蝋人形館といえば、何故か陰惨な展示物がつきものであるが、
それは、蝋人形自体の生い立ちとは無関係ではないと思われる。
蝋人形--即ちアイドルは、所詮、補修された死体。
美しい外見は取り繕いに過ぎず、そして補修しようとする人間が耐える事がないため、
自身の意志で朽ちる事はできず、永遠に眠ることのできない見世物。
もちろん生のない彼女達には、シャンソン人形の、いやさ、音の出る蝋人形の締めの歌詞のように、
"いつか自分が歌う歌のように生きる"ことも、"男の子の愛情を正面から受ける"ことも、できはしない。
ただただ、それを思い描き続ける事に終始するのだ。
そうね、解釈できると思うのよ。もちろんこう解釈すると、その塗り固められた死体の歌に、
踊らされる人々と言うのは、非常にこう……ああ黒い! 黒過ぎ!
うん、我ながらあんまりな解釈だなー、俺の趣味ガモガモやん。
しかしね、セルジュ・ゲンスブール氏は天才なんだ。
天才と対するならば、あらゆる方策を述べるのがまず筋というものであろう。
よって、かようにくだらん解釈であっても、とりあえず並べて見るのが正しいと思うのだよ。