新潟西高校野球部の富樫平八郎はライバル日下部了の
影に隠れ、高校3年間のほとんどを補欠で過ごすも
愚痴ひとつこぼさず、黙々と野球に励んでいた
付いたあだ名は「ウォッス10番」
そんな平八郎にも夏の甲子園出場をかけた地方予選の
決勝にチャンスは回ってきた
負傷の日下部に代わりマウンドに登ると最後の打者を
三振に打ち取り、甲子園出場を決めた
だが平八郎の父は病におかされ、余命はもって1年と宣告
されてしまう
平八郎の実家は貧乏な魚屋で、父の入院費用も出せない
そんな中平八郎はなんと東京メッツからドラフトで指名
されたのだ
親父が病気のため家族が来れないのはわかる気がするが
見送りが夕子だけとはなんとも寂しい旅立ちだ( ´(ェ)`)
『見ててくれ親父!親父が生きてる間に東京で必ず
ひと花咲かせてみせるぜ!!』
『頑張ってね、平八君・・・私は最後まで平八君を
応援してるわ』
それから4年の月日が流れた
夕子は高校卒業後、看護士の資格を取り今や列記とした
ナースになっていた
テレビでは六大学野球の優勝決定戦が行われていた
早稲田のマウンドに立っているのは、あの日下部だ
この年のドラフトでは間違いなく1位指名される逸材に
成長していた
ここでサブタイトル
なお平八郎のエピソードは、原作では「ウォッス10番」
「ガッツ10番」「スラッガー10番」の三部作だ
その全てに渡り、女性キャラは里中満智子先生が担当
連続した連載ではなく、不定期だったためそのたびに
呼び出されてさぞかし大変だっただろう
ちなみにアニメ版は「ガッツ10番」に「スラッガー10番」も
併合されている
平八郎はメッツに入って4年
いまだに一軍には上がれず、夕子も心配していた
「日下部君ってステキねえ~、まさに郷里の大スターだわ!
そういえば日下部君のチームメイトでプロに入った人
いたわねえ・・・名前は忘れちゃったけど(`∀´)」
「日下部君の影に隠れてた人でしょ、でもいまだに名前
聞かないって事はどーせもうクビになったんじゃないの
アハハハハハ( ゚∀゚ )ハァーハッハッ!!」
彼氏の事をボロクソに言われて気が気じゃない夕子
「ク・・クビになんかなってないわ!今も彼は頑張って・・・・」
しかしいまだに一軍にも上がれない平八郎を擁護
したところで虚しいだけだった(´_`。)
平八郎の親父は、その夕子の勤める病院に入院していた
これは、平八郎から送られてきた手紙だ
「お父さん具合はどうですか、俺は東京で元気にやって
います・・・・だと?」
いつの間にかガミラス人になった親父・・・・(^▽^;)
「デカイ口聞いて東京に出てったのはいいが、4年も
二軍とは、やっぱりあいつにプロなんて無理だったんだ」
お・・・お父さん、、、、
プロでなかなか芽が出ない息子平八郎に、母親も胸を痛めていた
『あのまま家の魚屋を継いでてくれればねえ、、、』
「お父さん!気分はどうですか?」
おおっ、夕ちゃんか・・・いつも済まないねえ
うちのバカ息子のやつは、こんな良い子放っぽり出して
ホントに大バカ野郎だぜ、、、
さて、その平八郎
二軍戦に登板するも、ここでも成績は芳しくない
「鉄っつあん・・・やっぱり富樫指名したの間違い
やったんやないか?高い買い物やった気がして仕方ないで。。。」
「もう4年や!ここまで成長せんとはなぁ・・・
そろそろ戦力外通告も考えた方がええかもしれん」
「五利よ、お前も新潟予選の決勝であいつのピッチング
見たやろ?」
「あの時のあいつ・・・たった1球やったけど、わしは
プロでも十分やれるやつやと思とる!今もそれは変わらん」
「あーもう、、、言ってるさきからこれや・・・・
鉄っつあんの目ぇも、もうろくしまくりやがな(x_x;)」
「毎年クジ運に泣かされとるからなぁ・・・今年こそは
1番クジ引いて、日下部獲ったるで!」
この頃のドラフトは、事前にクジ引きをして1番クジを
引き当てたチームから順に、好きな選手を1本釣りできるという
システムだった
ありゃ!本当に1番だ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
「せやろ、せやろ!当然やで」
って、ホンマに1番やんけ
冗談で言うとったら、ホンマに引いてもたで
このニュースは瞬く間に世間の話題を独占した
そんな事はつゆ知らず、オフになり平八郎は久しぶりに
故郷の新潟に戻ってきた
親父の病院を訪れるも医師からは悲観的な言葉しか出ない、、、
「正直ここまでもっているのが奇跡です・・・お父さんの
精神力の強さには驚きました、しかし現実的には
いつお迎えが来てもおかしくない状況です」
「俺ゃあ、二軍で球拾いさせるためにおめえを東京に
やったんじゃねえぞ!とっとと帰えりやがれ」
いや・・・別に俺球拾いはしてねえし・・・
「とにかく俺、来年こそ必ず一軍に上がってみせるよ!(`・ω・´)」
「平八クン、ちょっと指を見せて」
平八の手は、指先だけが氷のように冷たかった
「平八クン・・・あなたひょっとして・・・・・
すぐに先生に診てもらった方がいいわ」
「な・・・なんでもないよ!今日は外が寒かったもんでさ・・・」
『もしかしたら・・・腱鞘炎じゃないかしら・・・』
ちなみに俺も腱鞘炎です・・・
そう言えばたしかに冬場は、指先が冷たくなって
動かすと激痛が走る時があるなぁ・・・・( ̄_ ̄ i)
「メッツが日下部を指名した、、、、また俺は日下部の
影に隠れてしまうのか。。。。」
その頃メッツの球団事務所では日下部に指名の挨拶の
電話を入れていた
「ああ・・ゴホンっ、日下部かぁ・・・わし岩田や
今度お前指名したから、うちに来いや」
「コラ、鉄ぅ お前バカか!そんなヤクザな口の聞き方があるか
もし日下部がヘソを曲げたらどうするんだ」
日下部は高校時、ホークスからの指名を拒否した前歴があるため
オーナーも対応には慎重になっていたのだ
「ああ?何??回りがうるそうて聞こえんかった、もう一回
言ってくれ、日下部」
「指名された以上、ボクはメッツさんにお世話になるつもりです
これからよろしくお願いします、と言ったんです」
「あ・・・・( ̄□ ̄;)・」
おいっ、鉄!日下部は何と言っておるんだ
「くそー、日下部でもなんでも来やがれ!
今回ばっかりは絶対あいつにマウンドは譲らねえぞ!!」
これは目立ちたいからではなく、親父に死ぬ前にプロで
活躍している自分を見せたい一心からの、平八郎魂の叫び
だった
第17話 ガッツ10番 17-2
さて、このエピソードでは高校時代ホークスに指名されたものの
大学でのドラフトでは、弱小球団メッツに日下部は気持ちよく
入団を承諾したのだが、野球狂の詩連載当時のプロ野球界
実は毎年何人もプロ入り拒否をする選手がいた
いまやレジェンドになっているような有名選手も
意外にプロ入り拒否の経験があったりする
元大洋平松政次
元広島川口和久
この人たちは、理由は様々だがたいていは指名順位が下位で
評価が低かったとか、大学進学が元々の希望だったとか
そういうのが多いかな
当時のドラフトは、プロ志望届なんかなく
プロのスカウトが「こいつは使える」と睨んだら
本人の希望とか関係なく、好き勝手に誰でも指名できたのだ
一方で、江川さんのように特定球団以外お断りの選手や
指名した球団が気に入らないなどの理由で拒否する選手も
少なからずいた
1969年のドラフトで大洋から1位指名された荒川尭は
「巨人とヤクルト以外はお断り」と最初から豪語しており
大洋ファンと思われる人物に襲撃されて選手生命にかかわる
大ケガ負わされた選手もいた
あと1998年オリックスに1位指名された新垣渚のように
交渉に当たったスカウトが、新垣の入団拒否が理由で
自殺してしまい、拒否した新垣が一方的な悪者にされた
ケースもあったなぁ・・・
しかし中でもやっぱり印象深かったのは、小池秀郎だな
1990年、なんと8球団から1位指名を受けた小池は
抽選の結果ロッテが当たりクジを引き当てた
当時小池は、大学№1左腕として注目を集め
ドラフトの日には母校亜細亜大学で記者会見の席も用意され
ドラフトの様子を小池本人も席に着きながら見ていた
ところが当たりクジをロッテが引き当てた瞬間、小池の
顔色がはっきりと変わり、明らかにガッカリしている様子が
テレビ中継で全国に放送されてしまった
しかも小池本人はその後の記者会見をボイコット
更に亜細亜大学の小池の同級生から「小池がかわいそう」と
言ってる模様まで放送されてしまう
今思うとここまで言われるロッテが逆にかわいそうだった
なんでも小池はドラフト前から「巨人と西武とヤクルト以外は
行かない」と言ってたようだが、巨人は小池を指名していない
まあ当時のロッテはたしかにクソみたいに弱いチームだったけどね
当時ロッテの愛甲は「俺があいつの先輩だったらぶん殴る」と
発言していたが、愛甲もドラフトでロッテから指名された時は
口には出さなかったものの「ロッテは一番行きたくない球団」と
周囲には漏らし、記者会見もメッチャふて腐れてた
記憶があるのだが・・・
ちなみに元中日の藤沢公也という投手は5回ドラフトで指名され
そのうち4回を入団拒否したという伝説を持っている
それ故にプロ入りした時は28歳とか29歳だった
この人の現役時代は知ってるけど、悪いけどそんなに
凄い投手には思えなかった
1年目こそ13勝したものの、2年目は1勝15敗だぜ、、、
しかし今更だけど、なんで自由獲得枠とか廃止しちゃった
んだろうな
あれに特に問題はなく、すごい平和的だったけどねえ( ̄ー ̄;