新潟西高の投手富樫平八郎は、実力はありながら
エース日下部了の影に隠れ、控えに甘んじていた
最後の夏の大会、新潟県予選二回戦はチームが苦戦
0-0で迎えた9回裏絶好のサヨナラのチャンスも
三塁コーチャー平八郎の判断ミスにより得点ならず
最終的には延長戦での押し出しでサヨナラ勝ちするものの
平八郎に非難の嵐が集中してしまう
平八郎が帰宅すると、あの判断ミスで
親父が激怒していると妹(長女)に聞かされる
この頃平八郎の親父は体調を崩して寝込んでいたのだが
「なんでぇ平八っ、今日のあの指示はよぉ」
「あんな判断ミスするんならとっとと野球やめちまえ!
お前には所詮野球は向いてねえんだよ」
体を壊してから毎日のように店の跡継ぎをしろと言う
親父の言葉に、平八郎もほとほと困りかけていた
「兄ちゃん野球やめちゃうのかな・・・・」
これが平八郎の弟妹たち
貧乏な魚屋で5人も子供いるのか・・・・
ちなみに平八郎の弟妹たちも里中キャラである
準々決勝も相変わらず西高は打てず、日下部のピッチング
だけが頼りの試合となった
なんと親父が末期の癌に犯されて余命は1年ほどだと
聞かされる
「父ちゃんがいなくなったら一家六人飢え死にだよ~」
泣きつかれる平八郎
準決勝はまたも西高はピンチ
日下部が連投の疲れからか本来の調子ではない
しかし弾いた方向がほぼファーストの守備位置だったため
ファーストはこれを捕球してベースにタッチ!
「はは平八、お前の出番はないから
甲子園へは俺が連れてってやるぜ」
スタンドの声援に応える日下部
西高はまさに日下部のワンマンチームな様相に
「しかし今日はヤバかったぜ・・・日下部もさすがに
疲れがピークだよな」
おなじみの解説高校生
富樫家は親父が病床についたため、閉店休業
魚の仕入れができなくなったからだ
この親父の容態を見て、さすがの平八郎も野球を辞める
決心をせざるを得なかった
平八郎の様子を見に来た夕子
平八郎の弟妹たちからもすっかり慕われている
「平八兄ちゃんのお嫁さんになるんだよね」
という言葉に顔を赤らめる
「ちょっと平八君っ!何してるのっ!!」
ザッサー
夕子、たき火に命がけのヘッスラ(^o^;)
「平八君、あんなに必死に取り組んでた野球を
そんなに簡単に捨てられるの!?」
「そりゃ日下部君の影に隠れて出番もないけど、平八君は
悔しくないの!あなたは悔しさを燃やして逃げるの?」
「うるせー、お前にそんな事言われる筋合いはねえよ!
余計な口出しするな!!」
「よ・・・余計な口出し・・・平八君・・・・
私の事・・・そんなふうにしか見てくれてないのね、、、(´・ω・`)」
「私・・・平八君の事好きなの!平八君は私の事
幼馴染みとしか見てくれてないけど・・・あなたの
本当の気持ちが知りたい!!」
「明日の試合が終わったら、あなたの本当の気持ち
教えてちょうだいっ!」
「何言ってんだいアンタ、そんなもん見たって仕方ないだろ
どーせ平八出場できやしないんかだから」
「あの子はアンタの言う通り野球を辞めるんだよ
店はあの子が継いでくれるんだから、もう試合なんて
どうでもいいよ」
「へっ、バカヤロー・・・いつ俺が本気であいつに
野球辞めろなんて言ったよ?」
えっ!?
「俺の倅がそう簡単に生き方変えるわきゃあねえんだ
俺に似て頑固なやつだしよ( ̄ー☆」
日下部はチームメイトに担がれて降板していた
第16話 ウォッス10番 16-3につづく
突然ですが、1980年(昭和55年)8月11日
第62回全国高等学校野球選手権大会の大会4日目第2試合
全国の高校野球ファンの度肝を抜く1年生投手が現れた!
早稲田実業の荒木大輔だ
当時優勝候補にもなっていた大阪北陽高校相手に
あわやノーヒットノーランという快投を見せた( ̄□ ̄;)
これを境に早実の快進撃は続き、決勝で惜しくも愛甲の
横浜高校に敗れたものの、荒木は全国に
「大ちゃんフィーバー」を巻き起こした
荒木大輔が甲子園で大ブレイクした甲子園のスタンドに
母校早実に声援を送る向って左から3番目のこの少年
彼は荒木と同級生でベンチには入れずスタンドでの応援
彼の名前は石井丈裕
後に西武ライオンズでエース級の活躍を見せ
1992年のヤクルトとの日本シリーズでは岡林と延長10回
155球を投げ抜き、自ら同点タイムリーも放って
MVPにも輝いた投手だ
この石井、高校時代は実力はありながらも荒木の影に
隠れてなかなか出番がなく、故障という不運もあったが
まさに富樫のような立場だった
ちなみに池田の水野に満塁ホームランを打たれたのも
この石井だった
石井は早実卒業後は法政大に進学するも、ここでも
元南海の西川佳明と元阪神猪俣隆の影に隠れ
やっと表舞台に立てたのは、大学4年くらいからだったと思う
その後は社会人野球のプリンスホテルに進み、ここで
ようやく才能を開花させた
88年のドラフトでは、プロ入り拒否の姿勢を示すも
西武が2位で強行指名指名、プリンスホテルが西武系列のため
密約説も飛び出したが、苦節8年でついにプロ入りを果たした
プロ入りは遅かったものの、通算成績は68勝52敗10セーブと
荒木より上なのだ(荒木は39勝49敗2セーブ)
高校3年時の背番号は奇しくも富樫と同じ10番
まあプロ入りして打者にこそ転向しなかったものの
石井はもうひとりの「ウォッス10番」だった